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ぺーじむいしゅきん−北海道十勝の原野より

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#わたしの泉

町の広報の子育てコーナーに、「子育てを大変だと感じる本当の理由」という記事が載っていた。
要約すると、
―わりが見えない 評価される機会が外の仕事に比べて圧倒的に少ない M縦蠅諒儿垢日常的である(自分の思い通り、計画通りに事が運ばない)といった理由により、脳が要求したことが満たされない=ドーパミンの分泌が少なく達成感を得られない、ということが子育てと外の仕事との大きな違いである。「子育てが大変だ」という言葉は子どもから解放されたいということではなく達成感を味わいたいという思いから発せられるものである。
だからそういう声を聞いたら、否定したり指示したりせずに労をねぎらうことが大切だ…という内容。

未だに「男性が外で働く7時間と、子育てをしているママの7時間…」「ママたちは子どもから解放されたいのではなく…」と男性=外で仕事、女性=子育てと決めて書いているのは気にかかったが、うんうんとうなずきながら読んだ。
子育ては成果が見えづらいのだ。

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T氏の仕事話を聞いていると、いつも「いいなあ」と思う。大変なことも多いのだろうが、それが報酬や信頼関係の構築といった形で「報われている」ことがうらやましい。子育ても家事も自給も開拓も、基本的にはそれほど成果が出る(評価される)ものではない。自給といったって、「買った方が早いし安い自己満足」と言われればそれまでだし、わたしのような技術のない人間にとっては今年のように「ハウスでウイルス病が出てトマトが壊滅的」とか「雨続きで露地も育たず」とかいったことも多い。

わたしは昔から割と優等生で、勉強のできる子どもだった。体育以外はがんばればうまくできた。「君みたいな地に足つかない人間が就職して大丈夫?」と言われていた就職活動も最終的にはうまくいったし、職場でもまあ、失敗や恥ずかしい経験も多々ありながら、上司や同僚に恵まれ「できた」を味わえる瞬間はたくさんあった。

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それが今は、「できない」の方が多い。
「また子どもに大声を出してしまった…」
「今日もやることが終わらなかった…」
「昼間ちゃんと掃除したんだよ! 掃除したけど夕方また元に戻っちゃったの。掃除してないわけじゃないの!」
そんな毎日。

特にわたしが弱いのは子どもへの罪悪感である。
世間の人々による「子どもがかわいそう」などという声にはかなり敏感に反応してしまう(だから自分では絶対に言わないようにしている)。「子どもに対していらいらしてしまった」「子どもに対して適切な態度をとらなかった」「子どもに対して大声を出したり叩いたりしてしまった」というような場合、罪悪感に浸るよりも次のための方策を考えるべきであるのは百も承知だが、とにかくまず罪悪感を覚えてしまう。そして成功した部分、達成した部分はそのような失敗の陰で見えなくなってしまう…。


そんなわたしにとって免罪符ともいえるのが、「子どもの作品」である。
子どもの言動の端々から「成長しているな」「やさしい気持ちが育っているな」などと実感することももちろん毎日のようにあるのだが、ほとんどの場合それを打ち消すような出来事も同時に発生しており、それらが交錯してゆく生活の慌ただしさの中ではなかなかじっくりと味わうことができない。
ゆっくりと眺めて味わうことのできる「作品」には子どもの今の内面が表現されていて、彼らの育ってきた道を思わせるものでもあり、わたしにとってはひとつひとつが宝物だ。

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これは、1年生の国語の教科書に載っている『けんかした山』を読んで、それぞれの登場人物の気持ちになってせりふを考える(?)という授業で使ったというプリント。
『けんかした山』自体は短い話で、
ふたつの山がけんかをした。お日様、お月様が「動物たちが安心して寝ていられない」と止めようとしたが言うことをきかず、噴火してしまった。緑の木々が炎に包まれ、小鳥に頼まれたお日様が雲を呼んで雨を降らせた。火が消えた山はしょんぼりして顔を見合わせた。何年もの時が経ち、山はようやく元に戻った、
というもの。

元のテキストには山の台詞は一言もない。
でも子どもの心の中では、こんなに生き生きと山が喋っているのか!
わたしは心底感動してしまった。自分だったらこんなふうには書けない。

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お月様が、少年の心の中では「なかよくして平和に暮らし長く栄えろ。」と言ったのか…と思うと、わたしはもう涙がでそうだった。

子どもの心の中には、慌ただしい暮らしの中ではなかなか見つめることのできない、何か特別な、繊細で豊かな世界がある。
ひとりひとりが持っている、それぞれ違ったエネルギー、燃えるもの、落ち着いたもの、やさしいもの、流れるもの…そんないろいろのものが渦巻いている。
「作品」に表れたそれをふいに目にするとき、わたしは突然夢から覚めたみたいに子どもの心のうつくしさを思い出して、それが育まれていることに感謝し、それからなんだか、救われた気持ちになる。
泉を見つけたような「達成感」を感じる瞬間。

成果なんかなくたって、無事に大きく育っているんだから、いいの、という人もいるかもしれないけれど、わたしにとってはこの「達成」の感覚は心を満たす大切な要素である。

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寝込み生活終盤にて、わたしが昼寝から目覚めたら一人で焼きそばを作っていた四月少年。
優秀な主婦である母をもったわたしは結婚するまで甘ったれ娘で一人で焼きそばを作ったこともなかったのだが、たまには頼りない母親も役に立つということが立証された気がしてうれしかった。
これも…「達成感」?

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なんと四月少年はサンマを切って内臓を取り出して洗って拭いて梅とみりんと酒と醤油で煮込む「サンマの梅煮」も作ってくれた。
すごいぞ少年。君は天才だ。と褒めちぎったらまんざらでもなさそうな顔。

かくして、「できる(けどダメ出ししがちな)母親」を目指さず「頼りないけど、少年たちのよいところを見て褒めまくる母親」を目指すことが、母と子がお互いに達成感を感じられる関係を築くポイントなのでは…と、思う今日この頃だ。




2016.11.15 Tuesday ... comments(0) / -
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