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ぺーじむいしゅきん−北海道十勝の原野より

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#命を食べて、命を還す −伊沢正名さんの「糞土哲学」−
寝込み生活中もずっと「あれだけは書かねば…」と心にひっかかっていた、伊沢正名さんの生態系講座の記事。だいぶ体調が回復してきたのでようやく書けそうだ。

『生態系講座』と銘打ちはしたが、その内容のほとんどは「野糞の話」である。

キノコやコケなどの写真家として高名な伊沢正名さんは、40年以上「野糞」を続けている。
もちろん、単なる趣味ではない。考えてみればすぐにわかることだが、一回、二回ならともかく野糞を毎日続けるとなると、強い信念なしにできることではない。野糞ができる場所など限られているうえ、自然に分解されるために必要な時間を考えれば同じ場所に何度もするわけにはいかない。毎日のように野糞のための計画が求められる。
汚い、下品、不衛生、そして環境破壊ではないか、といった批判や攻撃にさらされることも容易に想像がつく。

では、そこまでして伊沢さんが野糞を40年も続けてきた理由、そして彼が野糞を通して伝えたいこととは一体何なのか。
…という話を、我が家でしていただいたのである。

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伊沢さんの話に入る前に、面倒くさがりのわたしがなぜ、この講座を主催することになったのか、そのことを書きたいと思う。

直接的には、去年通っていた長沼(現在は当別町)の「エコビレッジライフ体験塾」の塾長の伊藤伸二さんが、伊沢さんの主宰する「糞土研究会」というネットワークに入っていて、「今年伊沢さんが来て、道内を回って講演や講座を行う、当別にもお招きするのだが、十勝でもどうか」と誘ってくれたことがきっかけだ。
わたしは去年伊藤さんに借りて伊沢さんの『くう・ねる・のぐそ〜自然に愛のお返しを〜』という本を読んでおり、「水洗トイレってどうなのかなと思ってきたし、コンポストトイレを作るのもいいなと考えていたけれど、こんなにシンプルな方法で土に還している人がいるとは!」という驚きと感激を味わっていた。

しかし、単にコンポストトイレの代わりに野糞を提唱するという話であれば、開拓だけで手いっぱいなわたしが集客の見込みもないまま開催しようなどとは思わなかっただろう。
わたしが伊沢さんの話を十勝の人たちと聞きたい、と思った理由は、十年近く前、わたしが大学四年の頃に感じたことに関わっている。



わたしたちが大学一年の頃、アメリカで同時多発テロが起きた。
大学三年の頃、アメリカがイラクに侵攻し戦争になった。バグダッドで何人が死亡した、というニュースが毎日のように新聞に載っていた。
テロも頻繁に起きていた。自爆で何人が死亡。子どもが自爆。結婚式で自爆。
わたしは何もできないまま、ただ犠牲者ひとりひとりを悼みその人生を想像しようとして、そのことに耐えられなくなった。
飛び散った肉片や血まみれの広場や子どもを失った人の悲しみに。
食欲が落ち、「これは殺されたものだ」と思うと肉が食べられなくなった。

それはやがて死そのものへの恐怖となった。
死ぬと人はどうなるのか、テレビのスイッチを消したように消えてしまうのか、と考えるととても怖かった。
「わたし」はどこへ行くのだろう? 無になってしまうのだろうか?
あの夏はとにかく死ぬことが怖くて、どんな短歌を詠んでも死の影がつきまとっていた。

そこから抜け出たきっかけは、「生き物には肉体がある」ということの発見だ。
当たり前なことのようだけれど、頭でっかちなわたしは「わたし」という意識がどうなるのか、ということばかり考えていて、身体のことを忘れていた。

−そうか。意識は消えてなくなるかもしれないけど、身体は地球上に残るんだ。すべて消えるわけじゃない。
−それならわたし、死ぬ前に小さい魚にでもなって、T氏が口を開けた瞬間にするっとすべりこんで食べられたいなあ。
−燃やされて灰になっても、残るといえば残るのかもしれないけど、他の生き物に食べられて命になる方がいいなあ。ずっと他の生き物の命をいただいてきたんだもの。
−分解されて、最後は炭素だかなんだかの元素になっても、それがどこかに消えてなくなるということはなくて、ずっと地球のうえにいるんだな。
−じゃあ地球はわたしの身体と同じだな…

その考えは、死に怯え、死を禍禍しいものとしてしか認識できなかった当時のわたしにとって、大きな救いのように思えた。
生き物の命が循環している地球という星はひとつの生き物のようなもので、自分はその大きなものの一部である。
いつか還る場所の一部。今はつかの間「わたし」という形をとっているだけ…。
死というものの概念が変わり、恐れが消え、そして生態系という「命の連鎖」への敬意が生まれた。



伊沢さんが「野糞」を続けるのも、生態系という「命の連鎖」への敬意、その一部でありたいという願い、そして彼の死生観に理由がある。
「便を無駄にせず、地球に還して他の生物の命に」と「死んだら遺体を燃やさずに他の生き物の命に」は、ほとんどイコールである。
ウンチの話は、命の話なのだ。
伊沢さんのお話は、命を食べて、食べっぱなしの人々に贈る、命を食べて、命を還す生き方の話なのだ。

実際に「野糞」ができなきゃダメ、とは、わたしは思っていない。原野に住んでいるわたしだって毎日は無理だし、難しいという人もたくさんいるだろうと思う。
彼の話を通じて自然の中で巡る命のこと、そして自分もその一部であること、生と死が繰り返される自然界の営みと生態系への敬意と驚嘆…そんなことを感じてもらえたら。
取り入れたり出したり作ったり捨てたり生まれたり死んだりして続いてきた生と死の営みを改めて意識する中で、わたしたちの暮らしのあるべき姿を共に考えられたら。
そう考えたことが、今回の講座を開催した理由である。

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いきなりウンチ話ではなく、まずは伊沢さんの美しいキノコの写真たちから。
写真家としての伊沢さんの作品を知らなかったわたしにとっては、「キノコってこんなに美しかったのか…」と驚きの連続。
「上から目線ではなく、敬意をもって接することで自然は美しさを見せてくれる」と伊沢さん。
写真って、被写体が同じでも撮影者の目線・まなざしがはっきりと出るところが面白いよなあ…(本題を忘れてしみじみ)

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ちなみに手に持っているのはイタドリの枝(笑)

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美しい菌類たちが生えているのは…鹿のウンチ。
そう、ウンチは菌類たちにとってはご馳走!

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人間界では厄介者とされて大量の水を使って流し、処理場で薬品やエネルギーを使って処理されているウンチ。
土に埋めると、掘り返されて何者かが食べたり、植物の根が養分を求めて伸びてきたり、キノコが生えたり…様々な生き物から必要とされていることがよくわかる。最後には土になり、香りもなくなる。

上の写真は、ウンチが食べられてなくなった穴に誰か小さいもの(ネズミかな?)が木の実を置いていったという、微笑ましい写真。
「汚い」と、思いますか?
「不衛生」ですか?
そんなこといったらそこらじゅう色んな生き物のウンチだらけで、土に触れなくなってしまうよね。

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お尻はどうやって拭くのかって?
自然に還る葉っぱです。
極上の葉っぱはトイレットペーパーより気持ちいいんだよ〜との言葉に、皆さん「えー!」

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この日集まった人たちはほとんどが生態系への理解のある「森の人たち」で、葉っぱを回すと「あ、ギンドロ!」とあちこちで声が。

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ギンドロの葉の裏は、まるでびろうどのような手触りなんだな…。

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伊沢さんの人柄もあり、皆さんリラックスして和やかな雰囲気。

「山のトイレ問題(高山など分解力の低い場所で登山者が自然の分解力を超えた量の野糞をすることによって草木が枯れるなど自然が破壊される問題)などについてはどう考えていますか?」との質問には、
「自然には分解する力があるが、それを超えた量をするのは問題。自分は一度した場所には目印を立てて一年はしないようにしている。高山などの場合は牛乳パックなどに入れて持ち帰り適切な場所に埋めるとよい。市販の携帯トイレはエネルギーをかけて作られているので」というお返事。

また「どこかのティッシュメーカーが、途上国の人々が不衛生な環境のために命を落とすことがないようにトイレを作ろう!というキャンペーンをやっていたけれど…?」というわたしからの質問には、
「水源の近くに野糞をして水が汚染されたり、集落の近くで野糞が過密になったり、きちんと埋めなかったりすることで衛生上の問題が発生することもある。しかしその解決策としては、他国の人間が出て行ってトイレを作るよりも正しい野糞の仕方を教える方がよほど効率的で環境にも良いのでは?」と伊沢さん。
さすがはプロ、「野糞」に対する疑問には瞬時に答えてくれる。

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その後原野を歩いて、お尻ふき用の葉っぱを探す。
一枚では心許ないヨモギも集めれば使える!
乾燥するとカサカサして使えない葉っぱもほんのり湿ってやわらかくなっていると使えるものがある…など、すぐに使える知識がいろいろ。

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真剣ながらも楽しそうな伊沢さん

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「熊笹も裏に毛がはえていてなかなか良い」との評価。熊笹なら無限にありますっ!
ここでも参加者さんから「お尻が切れちゃいませんか?」との質問が。
伊沢さん「端っこを破けばOK!」
楽しいやりとり。

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このフィールドワークの後は、お部屋に戻ってエコビレッジライフ体験塾の伊藤さん(伊沢さんを送りがてら、講座の運営も手伝ってくれた)から「自宅の裏山で放置したウンチがどうなったか実験」のレポートが。
生々しすぎて写真は撮らなかったけど(笑)、埋めなければ菌類や植物が分解する前にもっと大きな動物が食べるのでなくなるスピードは速いようだ…という話。
わたしも伊沢さんの講座に先立ち、原野に少年のウンチを放置して実験してみたのだけれど、一体誰が食べるのか、最短で二日、ほとんどが一週間もしないうちにきれいさっぱりなくなり、もちろん臭いもしないことに驚いた。
これが自然界での「当たり前」なのか!と。

もちろん人間界の「当たり前」はそうではないので、実際に野糞をするにはハードルもあると思うけれど、人目を気にする場合はタライにしてから外に埋めに行くとか、方法は色々あると思う。外でする方が爽快だろうけれど、我が家の場合は初夏はブユも多いので難しそう。ヤギみたいにハエやブユを追い払うしっぽがついていたらいいのだけど。

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今回は会場の雰囲気がとてもよくて、最後には「また伊沢さんに来てもらいましょう!」という声が参加者さんたちの間から上がったくらい。遠く札幌や釧路から参加してくださった方もいたのだけれど、皆さん楽しみつつ伊沢さんの「糞土哲学」にも共感していただけたようで、満足した表情で帰られる方ばかりで嬉しかった。
途中で「トイレはどうすればいいですか?」と聞かれた方がいて
「トイレはそこに…」
「あ、えっと(それはわかっているんですけど、、)」
「あっ!外ですか?! 家の周りでなければどこでも大丈夫です〜むこうの茂みとか…」
なんていうやりとりもあって伊沢さんも喜んでくれた。
事前にお会いしたことのある方は一人もいなかったのだけれど、素敵な方ばかりだったのでまたじっくりお話してみたいなあ。

解散の後もキノコ談義などゆっくりお話したり、ご飯を食べたり(自家採取キノコ料理を分けてくださった方も…)と和やかに過ごすことができた。



つわり寝込み生活真っ最中で「この日だけは絶対になんとかする」という気合いだけで過ごしていたわたしは、伊沢さんが釧路に発った後すぐにへなへなと床に倒れ込んで眠ってしまった。
眠っている間にあとりの会のN君が「鮭が釣れたから」と持ってきてくれたらしく、T氏がさばいた。
そういえば伊沢さん、自家製イクラ丼が懐かしの味だったようで「北海道で食べるのは味が違う」ととても喜んでくれたっけ。

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わたしは普段自給自足のサークルをやってはいるけれど、自給したい人=環境や生態系に興味がある人というわけでもないし、今回は最初から全くもって集客のあてがなかった。
新聞二社、かわら版、芽室の町の駅や帯広の自然体験施設はぐくーむで宣伝してもらったり、大学や子育てNPOにちらしを置いてもらったり、さらには人づてで個人へ連絡をとらせていただいたり…「野糞だなんていって、不衛生だとか怒る人がいたらどうしよう、誤解されたらなんて説明しよう」とドキドキしていたのだけれど、ほとんどすべての場所で「とても面白く有意義な企画だ」と言ってもらえて驚いた。
おかげさまで当日の朝まで電話が鳴ってほとんど満席!
特にはぐくーむのTさん、参加してくださった写真家のKさんにはじっくり話を聞いていただき共感していただけて、一人で奔走していたわたしはとても勇気が沸いたし、協力していただいて感謝でいっぱいだ。
また、今回伊沢さんを紹介してくれ、収穫期で忙しい中、当別から来てくれた伊藤さんにも感謝、感謝…。

その後体調不良が続き「土に還す」を実践できていないわたしだけれど、復活したらできる範囲で行動してみよう。
伊沢さん、みなさん、ありがとうございました!



2016.11.08 Tuesday ... comments(0) / -
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