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ぺーじむいしゅきん−北海道十勝の原野より

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#崩壊と芽生えの混沌〜突然の別れ

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前回更新してから、一ヶ月も経ってしまった。
体調が悪く寝たきりになり、更新できなかったのだ。
その間に起きたことをかいつまんで説明すると、まず、前回の記事のとおり、台風が来て我が家の原野の半分をさらっていってしまった。記事の終わりには「開拓しよう」と書いたが、気力が湧かず、結局開拓はできなかった。

その直後に妊娠が発覚。
同時に、自分史上最強の悪阻が始まり、立って動くと吐いてしまう(といっても、わたしは昔から、身体にはよくないことだが「吐くのを抑えようとする無意識の制御力」が強いため、胃が痙攣しせりあがってきても実際には吐けず、ただ涙目になって何度もオエオエ言っているだけ)ため、トイレ以外は寝たきり、風呂は四日に一度、ずっと寝ているから髪の毛には毛玉ができ、まるでボロ雑巾状態に。
ピークの時、というかつい最近まで、窓の外も見たくない。外気の匂いに当たると吐き気がする。子どもが近寄ると匂いで吐き気がする。しゃべるのもだめ。写真もいや。音楽も止めてほしい。水は吐きそうになるのでポンジュースしか飲めない…といった症状が続いた。
中期は食中毒様の症状(吐き気と腹痛と下痢と脂汗&目の前まっしろ状態)もあった。食べられるものしか口にしない生活の結果、珍しく39℃近くまで熱を出し、マタニティーブルーも手伝って生きている意味がよくわからなくなり、お腹の中にいるのは子どもではなくモンスターなのではないかとさえ思われた。とにかく酷かった。

もちろん家事は何ひとつできず、食事は朝、T氏が作りおきしたものか、T氏が作れなかった日は夕方四月少年が作っていた。買い物もできず、洗いものもできず、掃除もできず、家畜の世話もできず、畑もできず。
畑のことは早々に諦めざるをえなかった、というか、考えるのもイヤになり(外気に触れると考えるだけで吐き気がしていたので)、どうでもよくなってしまったのだが、他のことはほぼ全て仕事帰りのT氏の負担になった。
T氏はヘトヘトだったと思うが文句ひとつ言わず、子どもに対してもわたしに対しても穏やかに接してくれた。
ボロボロでブルーだったわたしは、「なんでこんな神様みたいな人が、このボロ雑巾のようなわたしと結婚してくれたのだろう」とか、そんなことばかり布団の中で考えていた。
恐ろしい一か月半。

この恐ろしい一ヶ月半、わたしの内面の中で何かが崩壊していた。
原野が流されたショック後、心を整理する暇もなく怒涛のような変化が起きたため、ものすごく混乱していたし、体調の悪さは精神、そして思考にも大きな影響を及ぼした。
この一ヶ月半の間に、わたしが切れ切れにT氏に語ったことは以下のとおりである。



原野の流されちゃった崖の下ね、わたしはあの場所があるからここに住もうと思ったの。
ここでエコヴィレッジをやりたいという計画も、あの場所ありきだったのよ。
エコヴィレッジになろうと、そうでなかろうと、いつかは道をあの場所まで伸ばして、散策できるようにしよう、いつでもあの場所が観察できるようにしようというのが、わたしの大きな目標であり計画だったし、それがない今、もうがんばってこの土地を開拓しようという思いが湧かないと思うのよ。
あの場所を春歩けるという希望があるからこそ、ここの長くて厳しい冬を耐えられたのだし、あのね、開拓生活って、とても大変なの…もちろん知っているよって思うでしょ?でも、ほんとうに大変なの。もちろんその大変さが、自分の手で生きるっていうことだと思ったし、それを肯定して、心を奮い立たせてやってきたけど、奮い立つ心がなければできないのよ。

わたしの原野は、失われてしまったけれど、また、心ふるわせてくれる場所がどこかに見つかると思いたい…。



(河原になってしまった「崖の下」は、この地図上の灰色の線の上、つまり原野の半分近くにあたる)

「でも、話を聞いていると、もしここを諦めて別の場所へ移動したとしても、一度の移動では済みそうにない気がするね。君は、定住に向いていないんだよ。俺なんかは、定住型だと思う。ここがいよいよダメになるまで、暮らせなくなるまで、ベストを尽くそうって考える。たぶんこの辺の農家さんなんかもそうだと思う。でも君は、もし別のところに移ったとしても、きっとまたいつか移りたいと言い出しそうだ」
とT氏が言った。

「わたしは定住型だと思っていたんだけどな」
「違うね」

そういえば、わたしたちの結婚生活が10年も続いている理由をT氏はいつも「自分の努力のおかげだ」と言っている。「気分屋の妻が結婚生活を放り出しそうになっても、自分は忍耐強く、決してあきらめずにベストを尽くしてきた」ということらしい。
確かにそれには感謝しているけれど、住む場所は変えられるものなら、変えたっていいでしょ。


日本では、あっちこっち移動したら根なし草とか、糸が切れた凧とか?言われるのかもしれないけれど、大草原の小さな家のシリーズで、インガルス一家は何度も移動していたでしょ。
たとえば土地の厳しさによって、天災によって、もっといい土地があるという噂によって。
それに今回、百年に一度といわれる災害があったわけだけど、ここに来てから毎年「こんなに雪が降る年は珍しい」とか「こんな年は(60年以上の人生で)初めてだ」って聞いてるもの。毎年だよ。
つまり、異常気象とか、そういうのが普通になってきたってことだと思うの。
そういう時代に、一か所に定住して家を持っていることのほうがリスキーなのかもしれないじゃない。
インガルス方式とか、野生動物とか、技術を磨きながらよりよい場所を求めて移る、という生き方の方が、合っているのかもしれないよ。
そうじゃない?

「それはあるかもね」

それに、もし日本が徴兵制を導入したらどうする? もちろん、そこに至るまでに精一杯、ブレーキをかけようとしたとしても、大勢の意見がなだれ落ちる時になすすべもないこともあるでしょ。徴兵されるなんて、ありえないじゃない。子どもを戦争にいかせるなんて絶対にないよね。
そういうことも起こりかねないような、空気を感じる時代には、一か所にとどまってベストを尽くす…っていうよりも、どこでも生きられる技術を身につけて、状況を的確に判断し身軽に行動していく、という方が、合っているような気もしない?

「…」



わたしは、ただ自分の都合にあわせて自分の都合のいいように喋っているだけだ。
異常気象だの徴兵制だのは、わたしが求める結論を導くためにもってきただけ。
自分でわかっている。
大して考えもしないで、ただメモみたいに思いつくまま喋っている。
ずっと自分がもっていた希望のようなものがなくなり、海に放り出されて、藁でもいいから掴みたいと思ってめちゃくちゃに手を振り回している。



―自分の手で生きたいと思って、野生動物みたいに生きたいと思って、こんなに日に焼けて、やさしさよりたくましさを選んで奮闘してきたけど、結局わたしは、理想と夢だけでこっちに来た、ひ弱で覚悟のない、ただの都会人なのよ。
わたしは憧れだけで来た移住者じゃない、って思ってきたけれど、結局そうなのよ。
ここで生まれて、どんなことがあってもここで生き抜く覚悟のある人たち、ここの厳しさも美しさもすべて自分の一部になっている人たちとは違うのよ。


マタニティー・ツワリ・ブルーで全てにおいて後ろ向きになったわたしがしくしく泣いていると、T氏が言った。

「今は色々考える時かもしれないけど、決める時ではないと思うから、また時間をおいて、落ち着いてから一緒に考えよう。」



と、そんな訳でこの一ヶ月混沌の中にあった我が家。
なぜかプライドだけは高いわたしがこのブルー状態を脱した半年後もまだ「わたしは理想と観念だけで来た愚か者で…」と挫折を認めていたとしたら、それは人生初のことで、一体どうなってしまうのかその先はわからない。

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さて、苦しい出来事は続くもので、みなさんにとても悲しいお知らせがある。

雄ヤギのガラが死んだのだ。


この一ヶ月、わたしはヤギの世話ができず、特にガラについては匂いを嗅いだら吐いてしまうだろうという恐れと、腹部に頭突きされると困るという理由から、遠くから見るだけだった。
世話はすべてT氏が行っていた。



三時頃、わたしに「にわとりに餌とお水をあげたら、モクを見に行ってくれない? 草が少なそうなところに繋がれていたから、繫ぎなおした方がいいかもしれない」と言われた少年が、外から帰ってきて
「ママ、ガラが倒れてる!」
と言った。

血相を変えて飛んでいくと、ガラが倒れていて、息をしていなくて、ハエにたかられるがままになっていた。
一目で死んでいるとわかった。
わたしは信じられず、大声で泣きわめきながら話しかけたが、もう帰ってこないということはわかっていた。
お腹の下はまだ少しあたたかかった。
少年が半泣きになり「ママ、泣かないで、お願い! 怖くなっちゃうよ! 僕がなかなか見に行かなかったのが悪いんだから、ママはごめんねって言わなくていいんだから、ねえ、泣かないでよ!」と叫んだ。

近くにマヤがいて、マヤの鎖がガラの頸にからんでいる。
T氏が繫いだ時に、目測を誤ってマヤとガラを近くに繫ぎ過ぎたのだ。二頭の真ん中にあたる場所に直径1センチほどの細い木がある。ガラは木とマヤの鎖の間に挟まれて、窒息してしまったのだ…と、思った。
苦しかったよねえ。こんなのってないよねえ。謝っても、もう帰ってこないよお、と、泣き叫びながら、首輪を外した。
こんなの間違っていたんだ、生き物に鎖をつけるなんて。そう思った。

風がとても冷たかった。
暗くなり、少年がランタンと上着とビニールシートをもってきてくれた。
「これ何だろう?」と少年がガラの身体についていた白い種のようなものをつまみ、しげしげと見つめた。
ハエの卵だ。
連絡を受けたT氏が帰ってくるまで、ガラの側にずっといて、毛を撫でていたが、吐き気はおきなかった。
T氏が帰ってきて、ガラをシートに包んで、家の近くに連れて行った。
そして、どのように弔うかを話しあった。

穴を掘って埋めるのは、にわとりでさえ困難で、キツネに掘られてしまうだけだ。
火を焚いて燃やすか、原野に連れて安置する、つまり野生動物や虫や菌類に食べられ、土に還るのを待つか。

火を焚いて燃やすのは、夜通し焚けば可能だろうが、乾燥した草や枝に飛び火する可能性がある。
また、わたしは、死んだ肉体を他の生き物の命として循環させるのではなく、燃やして灰にしてしまうということに抵抗があり、自分が死んでも火葬されたくないと考えている。
一方で、遺された者の心理としては、火を焚いて「弔いたい」という思いもある。
ガラはどうされたいのだろう?

考えた末に、野生の鹿と同じようにしようと思った。
T氏が抱いて下の原野に連れてゆき、ヤナギの木の下に安置した。
ひさしぶりの原野で、衰えた脚の筋肉がガクガクした。
月がのぼる前で、空は星でいっぱいで、ヤナギの木の隙間からチカチカとまたたいているのが見えた。
T氏の身体がぐらついた瞬間に、ガラの舌がべろりと飛び出して、T氏も泣いた。

帰ってきて、キッチンに立って二回吐いた。いつものとおり、酸っぱい唾液しか吐けなかった。
それから、キッチンの床に座って温めた牛乳を飲んでいると、ジャンバースカートの上で何か白いものがうごめいていた。
ウジだ。
ジャンバースカートを脱ぐと、タイツの上にもウジが動いていた。

そんなに動くのは一ヶ月ぶりで、わたしは風呂からあがると疲労で動けなくなったが、眠ってしまうのはずるい気がした。
眠ったら悲しみが癒されてしまう。今の思いも薄れてしまう。ガラは冷たい風のなかにいるのに、自分だけあたたかい布団に入って眠るなんて。
そう思っていたが、眠ってしまった。
目覚めると月がのぼっていた。
デッキに出ると、この寒さの中にガラが冷たくなって横たわっているのだと思ってまた涙が出た。
T氏が、おねしょした十月少年のズボンをとりかえていた。
「おねしょしちゃってるわ」
とT氏が言って、わたしは、どうしてそんなに平気なの、このひと月、色々、負担がありすぎたのはわかっているけど、お世話がおざなりになるくらいだったら、言ってくれればわたしが無理したのに、ガラがしんじゃうくらいなら…と、T氏を責めてしまった。逆の立場だったら、絶対にわたしを責めない人を。
それからしばらく、通夜のつもりで、蠟燭をつけてじっとしていた。
T氏は「寝たくなったら寝る」と言って明け方の四時まで起きていた。


鎖にからまって死んだと思っていたガラだが、ひとつ不明な点がある。
ガラの体高はマヤよりも高いので、普通にしていたらマヤの鎖がガラの頸に巻きつくことはない。

マヤが興奮して飛び跳ねて、ガラを飛び越したのか。ありそうもない。
ガラが座っているときに、マヤがガラをまたいだのか。そうなったら、完全に巻きつく前にガラが避けそうな気がするのだが、すばやく行われた場合や木に角がひっかかった場合は逃げられなかっただろう。
ガラが衰弱して倒れたところに、マヤの鎖がからまったという可能性もある。(死因は鎖)
ガラが衰弱し、亡くなったあとに、マヤの鎖がからまったという可能性もある。(死因は衰弱)

衰弱説のほうがありそうな気がするのは、わたしがガラの声を聞いていないからだ。
ヤギは嫌なことや困ったことがあると、メーメー騒いで人間を呼ぶ。
わたしは部屋の中にいて、午前中は眠っていた時間も二時間ほどあるが、起きていれば声は聞こえそうな気がする。それともあっという間に巻きついて、苦しくて鳴けなかったのだろうか。
また、T氏が繫ぐ際に「寒くなってきたからか、なんとなくガラの動きが遅いような気がする」と言っていたのも理由のひとつだ。
「なんとなく、気がする」であったとしても、異変に気付いたならすぐに風を避けられる小屋に入れて様子を見るべきだったのだが、苦痛の様子もなかったので繫いでしまったのだ。
ガラは去年の冬も少し動きが鈍くなり、若く活発なマヤと違って小屋でじっとしていることが多かった。一冬終えるととても老け込んだ感じになった。
あの時小屋に入れていれば、わたしが昼間様子を見に行っていれば、もっと大切にしてやっていれば…今となっては、何を言っても遅い。


本当はガラの思い出を色々書きたいのだけれど、ここまで書いて疲れてしまった。
わたしもT氏も、四頭の中で一番手を焼き、それでも一番好きだったガラのことは、また後日改めて書きたいと思う。

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2016.10.21 Friday ... comments(2) / -
#Comment








こんばんわ、竹田といいます。

神奈川で暮らしてます。

採集、栽培、自作の生活に興味があり、

えじまさんのブログを参考にして、少しずつレパートリー

増やしてました。

ブログはよく見てました、台風の記事と更新がとどこおってたので気になってました。

僕、札幌出身でいずれは戻る、というか神奈川と北海道の2点居住を予定してます。

ああ、アイヌの文化にも興味があって先日、アイヌの世界観、という本と アイヌ式エコロジー生活という本買いました。


えじまさんのブログ、写真きれいですね、ひきこまれそうな感覚を覚えました。 文章も、大学で教えてたようですね、どこか非凡なものを感じます。

さて、今回の台風の件で気になったのですが、

十勝は台風というものは来なかったのですか?

川も数十年、いや数百年というスパンではかなり位置を変えてますし、蛇行してるしてるので当たり前ですが、


引っ越し先の地形に変化がないということは想定しずらい気がします。

それが何年先か何十年先かはたまた来週なのか事前によーわからんだけで。

むしろ、この先、多大な人的労力をかけて、開拓、整備してから、大きな台風でおじゃんになった可能性も十分にあるわけで、
そうはならなかっただけましかもしれないと感じました。

自然物である土地は登記して所有したとしても完璧に自分の自由になんないですよ、工業製品である車や家電でさえある日壊れるかもしれないですし。

あとひとつ、旦那さんの対応ですが、今回、やはりえじまさんと似たりよったりのショックはうけてると思いますが、

そこまで理知的な対応ができる人はそういないんじゃないかと思いました。

子供さんもとてもかわいらしいですね。

ほんと月並みで恐縮なんですけど、

失ったものでなくって、今あるもの(人)に意識を集中してみてはどうでしょうか?

これを機会にその場所ひきはらってもっと整備開発された
場所に引っ越しされるのもえじまさんの自由ですし、

これで活動をおわりにしたって、いままで書いた文章や写真の価値が損なわれるわけでもないですので。

へこむこと連発したようですが、それ生涯続くわけでもないのではないですか。

また月並みなんですが、人生万事塞翁が馬なんちゅうありがたい言葉もあることですし。
| 竹田 信 | 2016/10/28 5:49 PM |
竹田さん

コメント、そしていつも読んでくださっているとのことありがとうございます。

わたしたちの土地にも昔の小さな川の跡があったりしますし、長い目で見れば変化があるのは当然ですが、北海道は台風はほとんど上陸しないといわれていて、上陸しても力が弱まってからということが多かったようです。十勝の今回の台風は100年に一度と言われています。
記事に書いた通り、これからは、そんなことも頻繁になってくるのかなと思っていますが…。

そうですね〜、竹田さんのおっしゃるとおり、今でよかったのかもしれないです。

今は、この記事に書かれた時点より多少体調も、マタニティーブルー状態も落ち着きつつあるので、
今あるものに意識をむける…というか、この、今までの理想やなにかが崩壊したあとから何が生まれてくるのか、注意深く見ていきたいという気持ちです。
今回のことがあって初めて、理想ばかり掲げて無理してやってきた部分があったのだということに気づいたりもしたので、こういう経験も無駄ではないというか、どこかにつながっていくのだろうな〜と思っています。

二拠点居住はリスク分散の意味でもよいですね。良いところどりで、文化も自然も堪能できそう。
北海道に来たら、アイヌ文化を学ぶ機会は色々あると思いますよ。
楽しんでくださいね!
| yukoejima | 2016/10/28 6:26 PM |
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