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ぺーじむいしゅきん−北海道十勝の原野より

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#大好きだった場所がなくなる/美紗子さんへの手紙

この度の台風で被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。

なんだか白々しいようにも感じてしまう。
何といっていいか分からないときのために皆で考え出した定型文。
でも役に立つ。だって、ほんとうに何と言っていいのか、誰にもわからないのだから。

 


全国ニュースではすでに忘れられているかもしれないが、北海道にはこの8月、繰り返し大きな台風が上陸し、甚大な被害をもたらした。
わたしの住んでいる芽室町でも、お隣の清水町や新得町でも、多くの橋が崩落し、道路が崩れ、家は流され浸水し、流木や土砂が押し寄せ、亡くなられた方もいる。復旧には長い長い時間がかかるだろう。
我が家も、川が氾濫したり橋が落ちたりしてどこへも逃げられなくなり―正確には、一つだけ町へ行くルートが残されていたようだけれど、これだけ多くの橋が崩落したり道路が崩れ落ちたりしている時に通るにはかなりの勇気が必要だった―土砂崩れがおきたらどうしよう、という恐怖で眠れない一夜を過ごした。

多くの方から安否確認のメールをいただき、無事を喜んだ。
家族もみんな無事、動物たちも無事、畑も無事。
とりあえずそれだけでほっとした。無残な姿になった林や畑など、被害の跡を見るたびに、また床上浸水したり未だ断水したりと不便を強いられている方たちの話を聞くたびに胸が痛んだが、「とりあえず、去って行った」という安堵感の方が大きかったように思う。

それから迎える初めての週末。
水も引いてきたので、気がかりだった原野の「崖の下」を見に行った。
31日には「崖の下」あたりで水煙があがっているように見えていたので、川が増水してそこまで来たのではないかと心配していたのだ。
山菜や植物たちが手つかずのまま残る、わたしの大好きな場所。
近隣の被害の大きさからみて、植物たちが押し流されたり、土がえぐりとられたり、流木が堆積していたり、泥で埋まっていたり、とそのくらいのことは、覚悟していた。


でも、現実は想像をはるかに超えていた。

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これが、崖の上からみた現在の「崖の下」の写真だ。

以前の写真はこちら。

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小さな滝があり、ギョウジャニンニクやバイケイソウやクレソンやオオタネツケバナやエゾノリュウキンカがひしめきあうゆるやかな崖。
<楽園><神様の庭>と心の中で呼んでいた。
そこからほど近い<熊池>にはカエルの卵がいっぱいで、子どもたちを連れていくとなかなか先へ進めなかったっけ。
原っぱにはトクサにシャク。熊のふんを見かけたこともあった。
その下はまた小さな崖になっていて、小川があって、そこにもエゾノリュウキンカがはえていたな。
N君が水たまりで、エゾサンショウウオの卵を発見したのもこのあたり。
そこから先の原っぱは、植物たちの天国だった。
ほんとうに天国みたいな場所だった。
シャク、ギョウジャニンニク、ユキザサ、エゾノエンゴサク、ニリンソウ、オオバナノエンレイソウ、フキ、ヨブスマソウ、エゾノレイジンソウ、トリカブト、ほかにも色々、もう数えきれないくらい。

原野を歩いて、まだ見ない植物に出会う瞬間が、「知り合い」になった植物たちの新しい表情を見る瞬間が、わたしが原野生活で最も大切にしているひとときだった。「今は草が覆い茂って冬と早春しか崖の下に行けないけれど、いつかは道を拓いて、夏でも崖の下を歩けるようにしよう。植物たちを観察できるようにしよう。」と、それがわたしの大きな目標であり、楽しみだった。

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それが今はもうない。
石ころだらけの河原と、川になってしまった。
元の地形が全くわからない。ここが本当にあの、わたしの大好きだった場所なのだろうか。

あまりのことに涙もでないし、本当に言葉もでない。
これから、ここの場所は一体どうなっていくのだろう。川の水が少し引いてきたらどうなるのだろう。


「…石がいっぱいだね。北の国からの五郎みたいに石の家でも作るか。」とT氏が言った。
「石、上まで運ぶの大変すぎだから」と答えた。

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端のほうの木だけ少し残っているようだけれど、草花たちはみんな、流されてしまっただろうか…


何かよくないことが起きても、わたしたちはたいてい、「よい面もある」と考えることができる。
「この経験を活かすことができる」と考える。
でも、今回ばかりは、何も思いつかない。
強いて言えば、愛する場所やものを失った人の気持ちが、多少はわかるようになったことだ。
愛したものが、今はもうなくて、全く別のものになってしまい、自分の記憶の中にしかない、ということが、どんなことなのか。


崖の下の惨状を見た晩、よく眠れなかった。
何度も崖の下の夢を見た。
その夢に流れていた気分は、「自分の大切なもの、愛しているものが、再び失われるのではないか」というような不安だったと思う。
こんなふうにあっさりと、圧倒的に、なすすべもなく、失われて二度と戻らないのではないか…という、根拠のない、もやもやとした不安な思い。

目が覚めたわたしは、前の日に言葉にできなかったことを、頭の中で手紙にして書きはじめた。
言葉にしなかったのが悪かったのだ。




美紗子さんへ

わたしは今、切り立った崖の上にいます。
崖の下には、濁流が流れています。
実はそこは、わたしがとても愛した場所だったのです。
春になると様々な種類の草花が芽吹き、鹿やきつねや熊が歩き、うつくしく静かな湖がありました。
この土地を見つけた時、わたしが昔から探していた森を見つけた、と思ったのを覚えています。
湖を発見した時は、わたしの心にすでにあった湖が土地に現れ出たように感じました。
でも、その崖の下のすべては、もうありません。
濁流に飲まれ、一面の河原になってしまいました。
わたしには言葉がなくなり、まるで自分が恐竜になってしまったかのように感じました。
長い恐竜の時代には、火山の噴火や、隕石の衝突や、河川の氾濫や、砂嵐の発生、そんなこともたくさんあったでしょう。
一夜明けて生き残った恐竜たちは、きっとがらりと変わってしまった光景を前に、「そういうものだ」と受け容れて、また目の前の「生きる」のためにゆっくりと歩きだしたのだろうと想像します。
わたしの愛したあの湖も、このような自然のサイクルの中ででてきたものだし、わたしの愛した草花の種も、川の氾濫によってこの場所にもたらされたものかもしれません。
わたしたちは、恐竜の時代と同じ時の流れの中にいるのだなあ、と、メソポタミア文明ができた頃とつながっている時の流れの中にいるのだなあ、と、思いました。
恐竜と違ってちっぽけな存在ですが、同じ大きな流れの中にいて、とにかく、いまは命があって、生きています。

これから冬が来ます。
こちらの冬はとても厳しいですが、一面が白く青く、静かで、息をのむほどうつくしいです。
冬になるといつも美紗子さんのことを思い出します。「冬はあたたかさを感じられるから好きだ」と言っていましたね。
確かに夏は「暑い」とは思えど「あたたかい」とはなかなか思えませんよね。
冬になると美紗子さんを思い出すのには、もうひとつ理由があります。
それは、美紗子さんの声です。
ダイアモンドみたいな声。
硬くて光っていました。ふるえまたたいていました。
歌の技術という意味では、ふるえないほうがいいし、またたかないほうがいいし、大河のように安定して流れている方がよいのだと思いますが、わたしはその「ふるえまたたく」ところに、とても大きな魅力を感じていました。
冬の星みたいです。
冬の星は、分厚く着こんで、白い息を吐きながら見上げるのですが、どんなに着込んでいても身体が冷えてしまい、長い間は見ていられません。
でも、冬の空は特別なのです。
長男が、以前星を見ながらこう言いました。
「宇宙ってすごくすごく広いんだね、だからこんなに寒いんだね」と。
冬は、宇宙の広さと、ひとつひとつまたたく星の小ささ、硬さをはっきりと感じます。
わたしたち人間の存在の、寄る辺なさのようなものも。
でも、同時に、こんなに広くつめたい宇宙の中で、こうしてあたたかい身体をもって生きている、ということが、すごく特別で素晴らしいことなのだということも、感じるのです。

長くなってしまいました。
今どんなふうに過ごしていますか。
またいつかお会いできたらうれしいです。

江島悠子




美紗子さんは、大学時代にとても魅力を感じていた文学部の先輩だが、今はどこでどうしているのかわからない。手紙を書いても、出すことができない。
美紗子さんへの手紙を頭の中で書き終えると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
恐竜の目で見よう、と思えた。
あの場所がこれからどうなっていくのか、植物たちがどうなってゆくのか、恐竜の目で見守ろう。
とにかく、今はあたたかい命があって、生きている。
大切な人たちも側にいる。
そうだ…。
様々に変化が起こる星のうえで、厳しい自然の中で、どっしりとそして軽やかに自分の命を生きる野生動物たちに、わたしはいつも憧れてきたじゃないか。

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少年は、崖の下の変貌を告げると「えーっ!」と驚き、それからちょっとわくわくした表情をした。
自分はなんてダイナミックで不思議で、予測不可能な地球の上に生きているんだろう、そんな表情。
君は、恐竜の時間に生きているんだね。
驚きに満ちた「生きる」を彼のまなざしの中に見たら、わたしにはまだまだ”sense of wonder”が足りないのではないか、という気さえしてきた。

 


まだ土は濡れているけれど、午後は気を取り直して開拓しよう。それがわたしたちの「生きる」なのだから。




2016.09.05 Monday ... comments(0) / -
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