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ぺーじむいしゅきん−北海道十勝の原野より

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#春

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「春の花束ですよー。」
母と違い、長い冬も謳歌していた少年達だが、やはり春の兆しは嬉しいよう。

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「ケーキ作ったから見て!」
冬の間は見られなかった自然の色と造形に踊る。

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一番に芽を出すユリ科の緑。まぶしい。

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まだまだ単調とも思える風景の中でも、探せばケーキのトッピングに使える材料はあるようで。

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ふきのとうを乗せた手は、光の塊を乗せているみたい。

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ヤギも大好きふきのとう。

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お知らせ。
マヤさん、モクさんが占冠の羊牧場に旅だった。
以前書いたとおり、この原野ではヤギによる開拓は難しいと判断した結果。
草が生い茂り高低差が激しい原野では柵(電牧)を設けての放牧が難しく、繫ぎ飼いとなると脱走のリスクもあり、水や草の減り具合のチェック、天気を見ながら小屋へ出し入れなど、管理にものすごく時間がかかるので、今後は黒ヤギのランプ君だけペットとして家の周囲で草刈りをしてもらう予定だ。

電気を使わずヤギで開拓だ!と意気込んでいたのが挫折に終わったわけだが、やってみなければわからないことがたくさんあったので飼ってみてよかったと思う。

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キッチンに置かれていた少年たちのおみやげ。
たんぽぽ、ふきの葉、ふきのとう。

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う〜ん、この香り…。

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おみやげその2。
「ママ、コーヒーのむ?」
「えー、…うん…、のむかな」
実は泥水を持ってくるのではと思っていたのだが、少年たちが持ってきたのはゆるんだ土から掘り出したたんぽぽ。
おまけに洗って刻んでくれた。
なかなか大変なこの作業。遊びと思えばこそ苦もなくできるんだなあ。

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甘い香り、軽い苦み、春の味。
キク科ってすきだなあ。

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はずむ。

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結婚記念日に作ったアイスケーキ。

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これから我が家にも赤子がくるというのに、なぜかこのタイミングで少年が孵卵器に卵を入れてしまった。

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目に入れても痛くないってこういうこと…?

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卵にヒビが入る。時折ふるえる。長い時間が経った後、くちばしが見え隠れするようになり、中からくぐもった声がきこえるようになり、割れた殻を身体にくっつけながら、雛が出てくる。
元気に誕生する個体もいれば、殻から出るだけで疲労困憊、息も絶え絶えという個体もいる。
殻の中でふう、ふう、と長時間苦しんでいるのを感じても、人間が介助することはできない。無理に剥いたりすると傷つくことがあるからだ。
雛自身の生命力を信じて見守るしかない。

途中までは育っていたのに、卵の中で命が終わってしまうものもいる。
命のはじまりはどこなのか。
受精、受胎、それとも?
卵の中で育まれているのも「命」だけれど、それが殻を破って世界へ「誕生」するというのは何かひとつの大きな門というか、くぐりぬけるべき道なのだなあ。

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えっ!死んじゃった?!と驚いたら、スース―と背中が動いている。
すぐに眠たくなり、床につっぷしてウトウトする雛たち。

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一週間後。
追加で買ってきたヒーターが故障していたため、狭いよ〜と言いながらひとつの箱に入っている7羽。
ヒーターの近くにいる小さい雛は烏骨鶏で、マヤとモクを引き取りに来た牧場の方が持ってきてくれた卵から孵したもの。
コーチン×ボリスの雛とはさすがに大きさが違う。

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もう段ボールを飛び越える勢い。

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下の池からカエルの声が聞こえる。
空からは、オオジシギの羽ばたきの音が聞こえる。
木々が日一日と色づき、原野にはこの時期だけのかすむような空気感が漂う。

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眠い、ものすごく眠い。
農道を運転していると瞼が閉じそうになってくる。
それは出産を控えたわたしの身体のせいなのか、それとも眠りが暁を覚えずといわれる春の空気のせいなのか。
そのどちらだったのかが、もうすぐわかる。




2017.04.29 Saturday ... comments(1) / -
#月イチあとり最終回(蠟燭づくり&味噌づくり)

原野を開かれたものにしたい、ということで自給自足をテーマに活動してきた<あとりの会>。
五年ぶりの出産〜新生児育児で主宰のわたしが準備・活動していくことが難しくなったため、月に一度というスタイルでの活動は三月で最後とし、今後は不定期で行うことになった。
本当は、わたしがいない時も原野さえあれば続けていける形が作れたら良かったのだけれど、結局最後までわたしが企画してメンバーの皆さんに来てもらうような形を崩すことができなかったので仕方ない。
二年間続けてきて、自分だけだったらやらなかったこともできたし、家を開放するということが日常のことになり、子どもたちの中にも「家に家族以外の人が来ること、色んな人と交わることが普通」という感覚が育ち、またわたし自身もしょっちゅう来てくれる人たちに対しては「家族じゃないけど、親戚の誰かみたいな、なんかちょっとそんな感じの人」というようなつながりを感じることができるようになり、それは首都圏育ちのわたしにとっては結構「おおっ」と思うようなことで、負担もあったがやってよかったと思っている。

「自給の実験」がテーマだったので、できると分かっていることをマニュアル通りにやるだけではなく、失敗もあったけれど、それも楽しかった。みなさん今までありがとうございました。

というわけで、二月、三月の写真。

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獣脂ろうそく。
最初は蜜蝋で作ろうと思っていたのだけれど、「せっかく自給の会なのだから、鹿の脂など原野で手に入るもので作ったらどうか」というOさんのアドバイスにより、鹿脂を使うことに。

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一月のあとりで抽出した鹿脂。この状態にするのがとても大変だった。

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ディッピング(浸す)で作る昔ながらの蠟燭…と思ったのだけれど、蜜蝋のように固まる温度が高くない(とても空気が冷えていないと固まらない)ので、浸す→引き上げる(冷えるまで待つがちょっと柔らかい…)→浸す(また溶けちゃう?!)の繰り返しでなかなか固まらない。

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う〜む…
右は購入した芯に浸したもの。左は、Oさんの提案で乾燥させたヤチヤナギの枝に浸したもの。
ヤチヤナギは燃やしても煙が少ないのではないかという話で試してみた。
日本ではイグサなどが芯として使われてきたそう。畳を解体してやってみればよかったかなあ。

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なかなか進まないディッピングに業を煮やし、牛乳パックをくるりと丸めて作った型に脂を流し込んで作ってみた。
こちらは大成功!

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四角バージョンも。

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ご飯を囲みながら着火…!

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獣脂はハゼや蜜蝋のロウよりも品質が悪く、獣くさい臭いがあったり煙が出たりする…と聞いていたのだけれど、そんなこともなくちゃんと燃えた!
臭いはまったくなくはないけれど、獣くさいというほどではないと思う。

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ただひとつの欠点は…

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すぐに溶けてしまうこと!
一本、この長さで30分〜1時間くらいしかもたなかった。

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昔むかしの、原始的な蠟燭。
こんな明かりだったんだなあ…
すぐ溶けてしまう、とても貴重なものだったのだなあ…
と思いを馳せながら眺めた。


さて三月は味噌づくり。

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参加者さん全員のぶんを作るので、大量に豆を潰さなければならない。
ミンサーでつぶす、ブレンダーでつぶす、手でつぶす、などなど…ほうぼうで豆を潰しまくる。

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メンバーのNさんが手に入れてくれた大きなタライで麹や塩と混ぜ、味噌ボールに…

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「微生物が住むから」とせっかく杉の樽を買ったのだけれど、去年は結構カビがでてしまい、「これは木の樽だから乾燥して縮んだ味噌と樽の間に隙間ができ、空気にさらされた味噌にカビが出てしまうのでは…」という考察を経て、今年は漬物用ビニールで覆うことに。ビニールだったら湿度を保てるはず…

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子ども達に大人気のN君。お〜〜い、餃子食べちゃうよー。

これからはあまり会えなくなると思うとさびしいなあ。
本当は五月にでも山菜の会をやりたいのだけれど、出産を挟むので予定が立たない。
毎月企画して準備して…ということはできなくなるけれど、今後も、ぶらりと寄れる場所であれるといいな。
メンバーのみなさん、また会いましょう!




2017.04.18 Tuesday ... comments(0) / -
#子どもの俳句はたのしい

わたしが子どもの頃は、自由研究は夏だけだったような気がするのだが、時代が変わったのか、土地柄なのか、四月少年の小学校には冬にも自由研究がある。
小学一年生といっても関心のあるテーマは数多あるのだが、大人が完全に放置していてもそれを「研究」として成り立たせられる小学一年生は少数派だと思われ、茫洋とした関心の海を形にし「研究」たらしめることが学びとして求められているのだとすれば、そこには自ずと親の出番が要求される。

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…困ったなあ。
自給自足などと言いながら「ものづくり」系があまり得意ではないわたし、カバンを作るとかハンカチを作るとか、そういったことを側について根気強く教える仕事は御免こうむりたい。本人は夏の自由研究「鹿角ナイフ」に続き「原野の木で作る弓」を作りたいと言っているけれど、今は冬で材料が落ちていないし、弓はT氏が作ってもなかなか調整が難しいのだ。
そんなわけで、少年には悪いが母親の得意分野をもちかけてみた。

「俳句つくってみるのはどう? ほら、昔『日本語であそぼ』でやってたじゃない。ごもじもじ〜、ななもじなもじ、ごもじもじ」

少年は漫画を読みながら言った。
「ごもじもじ? ああいいねー、それにするー」


夏休みに削りまくった鹿角(これは材料)。これもなかなか大変だった…

 

<俳句の研究 手順>
/渊餞曚破椶鮗擇蠅討て、ルールを調べて書く。
⇒名な俳句について感想を書く。
自分でも十句作ってみる。
このみっつだけ! 簡単! ほとんど放置していてもできそう! と思ったのだが、七歳児にとっては意味のある文章を作ってそれを読める字で書くというだけでもものすごく骨の折れることなのだということを忘れていた。学校から持ち帰ってくる作文達は、先生がていねいに間違いを正し、教え導いた結果なのであって、そこには「過程」があったのだ。

かくして、四月少年は残り一週間で「大変だ、大変だ」と半べそをかきながら俳句と格闘することになったのだが、その詳細はおいておくとしよう。
今回書きたかったのは、特に国語が得意というわけでもない普通の一年生である少年でも、こんなに俳句が読める/詠めるのか!という驚きである。

 


子ども向けの俳句本に載っていた一句を少年が気に入った。

 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  坪内捻典

これ、ふつうの大人だったらどう読むのかなあ。
少年の感想はこう。
「ぽぽが火事というところで、ぽぽが赤くなっているかなとおもっておもしろかった。ぼくはどうして火事になったのかもわかった気がした。おこったときにぽぽが赤くなって火事になるのだとおもう。」
”ぽぽ”とは何なのかということには一切触れていない。何っていわれても、”ぽぽ”は”ぽぽ”だよ、という感じ。
ネットで調べてみたら「たんぽぽの花が火事のように見えるということではないか」という解釈がたくさん出てきたのだけれど、小学一年生の感想の方が面白い。個人的には、怒っているというより、恥ずかしがっているというほうがしっくりくるような気がするけれど、怒っているぽぽも可愛いと思う。

もうひとつ、面白かったのが

 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの  池田澄子

「じゃんけんと生まれるのとはかんけいないので、おもしろかったです。ほかにはなにに生まれたかったか、かんがえてみると、ねーうしとらうーたつみーうまひつじさるとりいぬいーだと思います。それか、かえるかもしれません。なんでかというとみんなつよいどうぶつばかりだからです。ちえをもつものもいればじゃんぷりょくをもつものもいます。それにくらべてほたるは空をとぶのとしりがひかるだけですからね。」
しりがひかるだけ…(笑)、これも大人になったらできない「小学生男子的感想」。
様々に解釈できるこの句、基本的には小さく儚い蛍の命をかろやかにあたたかく詠んだ句…なのだろう。

けれど、わたしはまず、このホタルは女だなあと感じる。この口調、ひっそりとした感じ、ホタルだけでなく人間でもいそうでしょう。「蛍」からの連想というわけではないけれど、倉本聡のドラマに出てきそう。女性というものがもっと陰(いん)のものだった頃の女性というか…。「じゃんけんで負けて女に生まれたの」に、近いものを感じる。そういえばホタルのメスって、飛べなくて、草の上で光ってオスを呼んでるだけだったような。
な〜んてふつふつとまとまらない感想を吹き飛ばす「しりがひかるだけですからね。」に、わたしなどは脱帽してしまうのである。


次は彼が自分で詠んだ俳句をいくつか。


 くまのにくおなかの中でおわかれだ

 クリスマスピアノの中があったかい

 あいにいくだんろの中のかみさまに

 たけうまもたけのこのこがいたのかな

 カマクラにはいればかじははいれない

 おもちつきもちっともちっとあそびましょ

 手ぶくろは人のこころをよんでいる


面白い!
…いや、確かに「これだと”ふーん。あっそう”って感じの俳句じゃない?」とか「うれしいな、とか、書かなくても伝わると思うよ」とか、「この句、面白くないから真ん中の七文字ちょっと色々変えて作ってご覧。」とか、わたしが口を出したものもある。
しかし子どもというものは、「クリスマスサンタがきたよたのしいな」などと詠んで母をげんなりさせた後にいきなり「手ぶくろは人のこころをよんでいる」というような句を持ってくるのだ。
わたしは俳句が専門ではないので、俳句としていい、悪いという評価はできないけれど、それでも子どもの発想の飛躍は短詩にすごくマッチしていると思う。
「くまのにく」の句も、「おなかの中でねむってる」やら「おなかの中でさけんでる」やら色々考えた末に本人が「おわかれだ」にしたのだが、一体何を思って「おなかの中でおわかれだ」を選んだのかなあ…、と考えてしまう。

「手ぶくろに心を読まれてるの?」
「うん、そんな感じする。」

子どもっていいなあ。
俳句なんて早いと思っていたけれど、子どもだから詠める句もある。年齢を重ねるうちに宝になるかもしれない。
ちなみに兄の俳句づくりを脇で見ていた十月少年(五歳)が
「ママだいすきなハイクできた。言うか? ”ままだいすき ぎゅーしてちゅーしてだっこする”。」
こちらは母の宝になったのであった。

子どもの俳句あそび、おすすめ!




2017.02.17 Friday ... comments(0) / -
#新年


あけましておめでとうございます。
皆様にとってよい一年となりますように。

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わたしたちが越してきてからずっと「今年は雪が多い」と言われている十勝地方。
今年もすでにたっぷりと降っている。

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今年の初日の出は原野で。
昔から『行く年来る年』を観て雪の中静かに地元の神社にお参りする人々に憧れていたけれど、今年はとうとう子どもたちが眠ったあとT氏とふたりで「雪深い地元の神社に真夜中に参拝」という夢が叶った!
別の部落の方々が当番をしてくれていて、凍りかけたお神酒を「もうシャーベット状態。なかなか呑めませんよーこんなのは」とすすめてくれて。満天の星の中を散歩して…。
色々あった去年という一年間が「結婚して十年間の第一部終わり」という気分だったわたしにとって、「次の十年間はどんな月日になるのだろう」ということを静かに考え、祈る時間となり、どこへ行くよりも忘れられない新年になったように思う。

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新年を迎えてもまだまだ長いのが十勝の冬。
例年どおり、というか妊娠中のため原野の散歩もできず、また春になって出産が終わっても台風で流された部分(原野の半分ほどで、最も植物や山菜が魅力的だったエリア)はもう歩けないと思うと例年以上に、冬の長さにホームシックに陥っているわたし。
それでも乾燥させておいたヨモギを煮てよもぎ餅を作って頬張ると、植物のエネルギーが気力となって身体に入ってくるような気がする。

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(奥の物置小屋、去年あとりの会で東側の一部だけ牛ふん+土+わらの壁にしてみたのだが、剥がれもせず今のところいい感じ。今年は全部塗れるかな?)


妊婦は雪かきしてはいけない、と言われても、雪かきしないと薪小屋の屋根が落ちるし、ヤギや鶏の世話もできないし…。
ほとんどはお向かいのOさんがご厚意で除雪してくださるのだけれど、びゅうびゅう風が吹く日などは除雪してもらってもあっという間に取付道路が吹き溜まってしまう。
お腹が張ると思っても、雪かきしないことには車を出すことができない…。

先日、Oさんの母上と電話で話す機会があった。
Oさんのご両親は先日町へ引っ越したため、日が昇る数時間前には起きて車で町から牧場へ通ってきている。
母上もこの地域の酪農家の出身なので、お二人ともこの地で生まれ育ち、ここでずっと酪農に携わってきた方。母上のほうは酪農の傍ら畑もやっていて、町の直売所で販売している。
ここの物凄い西風や雪の多さ、畑への鹿や雨の害にいちいち潰れそうになりながらなんとか暮らしているわたしたちにとっては、大先輩というより、一生かかっても到達できないところにいる凄い人たちだ。
「わたしらはもう50年以上もこんなことをやっていて、自分たちにとってはこれが普通だから、凄いと言われてもよくわからないけどねえ」
まだ暗いうちから、マイナス20℃を超えるような厳しい寒さの日も、吹雪の日も、毎日の仕事を当たり前の生活として淡々とこなしていく姿が目に浮かび、思わず涙がでそうになってしまった。

こちらへ来てから、たまに学歴を聞かれたりして「すごいね」と言われることがあるが、物凄く恥ずかしくなってしまう。
ここの人たちが当たり前のように送っている生活のこと、その繰り返される営み、自然と対峙してきた歴史を思うと、自分がいかに頭でっかちな、手を動かさない人間なのかがよくわかる。
この地域の老人は長寿の方が多いと聞くが、きっと身も心も強いのだろう。
わたしなんて養殖のサケみたいなものなんだろうなあ。
尊敬するOさんのご両親夫妻のように強くなれる日はくるのだろうか。

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うう、この「閉じ込められ感」に耐えられない…。


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スクールバスに乗って帰ってきた兄を大喜びで迎えに行った弟。
彼はいつも兄の帰りを待ちわびている。
手前のコニファーはヤギに齧られてひどい有様に…春になったら新芽が出てくれるといいのだけれど。

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リビングの、雪に閉ざされた窓からカタカタと音が。

ん? このチョロっとしたものは…

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野ネズミさん!

足跡としっぽ跡、食痕はよく見かけるけれど(死体も一度見たことがある)生きているのを見たのは初めて。こんなに可愛いお顔をしていたとは。

雪に開いた穴から穴へと移動するねずみさん。

なんだかピーターラビットの世界のようで、登場するたびに子どもたちと観察を楽しんでいる。

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池袋のねずみなんて太っていて不気味だったけれど、野ネズミは可愛いものだなあ。

なるべく、植えた木の枝は齧らないでね…。

 

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新年を迎えてすぐに、鶏が卵を産むようになった。日に日に厳しくなる気温よりものびてゆく日照の方を感じるのか、彼らにとってはもう「春」らしい。夏にせっせと摘んで塩蔵していたわらびを慌てて塩抜きして食べ始めた。
そういえばギョウジャニンニクの醤油漬けもまだ少し残っている。

ふきのとうが顔を出す雪どけまで、あと二ヶ月とすこし。
まだまだ寒さは厳しく雪も積もりそうだけれど、昨年さまざまにいただいた原野の恵みを味わいながら、今年も芽吹きの春を待とう。




2017.02.03 Friday ... comments(0) / -
#大きな変化/夏の写真・冬至写真

SDカードの奥に、未整理の夏の写真がたくさん入っていて驚いた。
夏なんて、なんだか五年も前のことのように感じる。
今年はわたしにとって、とても不可思議な一年だった。

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(こんなにまぶしい夏の写真を見るとくらくらしてしまう…)

春、蠟燭森の概要と土地をシェアする構想についてホテルヌプカで話す機会があった。
夏までは畑もまずまず順調で、『田舎暮らしの本』や地元のUターン誌の取材などもあった。
見学者さんもコンスタントに来ていて、11月にもひとり来るはずだった。
猟師さんと仲良くさせていただき、そこから派生した出会いで革のなめしを教えてくださるという方とも出会い、冬には銃の免許取得も目指す予定だった。
でも夏からの畑はひどかった。雨続きで畑に入れず、病気や虫に襲われ、野菜は買うことの方が多かった。
8月、9月に台風が来て、原野をさらってゆき、
妊娠が発覚し、
今までに体験したことのない体調の悪さに襲われて一ヶ月半寝たきりとなった。
そしてそこから復活した自分は、もう元の自分ではなかった。

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(夏にキャンプで立ち寄った富良野の写真)

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(なんて天国的なのだろう…)

「元の自分ではない」ということを体験して、何だか小説みたいだと思う。

作り話みたい。
でも様々な点において、もう夏までのわたしではない。

ひとつ例を挙げると、自分でもとても驚いたのだけれど、以前のような「旧姓へのこだわり」がなくなってしまった。
12月に復活祝いとして糠平温泉に泊まったのだけれど、予約の際に戸籍上の名を答えている自分に気づき、とてもびっくりした。
以前のわたしだったらもちろん「江島悠子」と名乗るか、戸籍上の姓を使う必要があれば必ずT氏の名義で予約したはずだ。今だって、T氏の姓が自分の名としてしっくりくるわけではないし、別の人の名前のように感じるのは変わらない。けれど、T氏が受付で自分の姓を名乗った時に宿の人が「ご予約のお名前は…???」となったり、T氏が言い直したりするよりは、わたしが戸籍上の名前を使う方がいいや、と感じるようになったのだ。
あらゆる点でこのような自分の変化を感じ、自分は一体どうしてしまったのだろうと首をかしげている。

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(五郎の家。観光地だし…と思ったけれどなかなか興味深かった。石の家いいなあ)

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最初は、大きな消耗の後で、自分の中にそれだけのエネルギーがなくなったということだろうかと考えた。
でも、感覚としては「今までがどこか無理をしていたのだ」という感覚。
普通に考えれば、災害によってそれまでの計画が崩れ、体調不良が続いた後、つまり”非常時”である現在の考えの方が特殊で、その前のほうが”自然体”だったのだろうということになるのだろうが、「崩壊後」である現在の目から見ると、以前のわたしはあらゆる点で無理をしているように感じられる。

たとえば、「自給の度合いにはそこまでこだわらない(全てを自分で作らなければと思わない)」と言いながら、原野での自給がままならないことを「負け」のように感じていた。
たとえば、「理想の生活」の青写真を(青写真なんてない、それは生活の中で作るものだ、なんて言いながらもやはり)追い求め、しかしもちろん一朝一夕にたどり着けるものではないので常に「中途半端だ」「できていない」という感覚をもっていた。
たとえば、「ずっと自給がしたかった」と言いながら(それ自体はその通りだけれど)、いつしか自分がやりたいからというよりも、自分は仕事を辞めたのだから、社会的意義のあることをここでやらなければならない、自分にも人にも認められなければならない、という思いに動かされていたような気がする。
たとえば、「戸数が増えたら、みんなで一頭牛を飼ってシェアしたりできるかも」などと妄想したけれど、なぜ近所にこれだけ牛屋さんがいるというのにわざわざ自分のところで飼いたいのか。「閉ざされた場所にしたくない」と言いながら、わたしはここを自分の気に入ったやり方が行われる、気に入った風景の「王国」にしようとしていなかっただろうか?

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今までの全てを否定するわけではないけれど、大変であればあるほど「厳しい自然の中で生きているたくましい自分像」のようなものを作り上げて自分を鼓舞していたわたしに、今の自分なら「そんなに、闘わなくてもいいかもしれない」と声をかけるだろう。
思えば、「厳しさの中で生きているたくましい自分像」というのは息子が生まれた時から始まっていて、このブログも「時に悩みながら、打ちのめされながらもその中にある喜びを求めて生きる」というような記事がとても多い。
長い間、子育てが闘いのようになっていたと思う。

でも、長い年月の間に築かれた様々なものが「崩壊」した今、心の中にあるのは「闘わない方法もあるのではないか」「元々のわたしは闘う人ではなかったはずだ」というような思いだ。
それはまだぼんやりとしていて具体性がなくて、T氏に説明しようとしても「つまり、これからどうしたいのか」という部分がなかなか自分でも見えてこないのだけれど、
そんな大きな変化が、自分の意志とは関係なく起きた今年はなんだかとても特別な一年で、その「崩壊」に深く関わっているお腹の子どももわたしにとっては特別な子どもで、そういえば今年は結婚して十年目じゃないか!

と、そういった諸々がもうあと一日で終わってしまって、新しい何かが始まるのだ。
単なる一年の終わりというよりは、「自分の中でここ数年単位で起きていた何か」の終わり、という感じがして、何だかとても感慨深く、今年は結婚して初めて(わたしにしては)気合を入れた大掃除をした。
蜘蛛にはやさしい我が家だが、蜘蛛の巣も払った。窓もぴかぴかだし照明も輝いているし、至らないところは多々あるにせよ、気持ちは今までの十年間でいちばん清々しい大晦日になりそう。

来たる一年がどのような年になるのか、今はとてもドキドキしている。

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と、いうわけで後半は夏の写真、そして冬至の写真たち。

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(富良野に行く前は、観光地だしなあ、と思っていたけれど、キャンプ場も含めとてもよかった。やっぱり人が集まる場所には理由があるのね)

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(一目惚れした木)

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(十勝岳温泉。わたしはこのような山にとても弱い。温泉も、風景との間になにも隔てるものがなく素晴らしかった。ずっといたかったなあ…)

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(キャンプで何を作ったか、もう忘れてしまった…)

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(予約せずに行ったのにたまたま買えてラッキーだったアムプリン。また食べたい)

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(どこか農場でブルーベリー狩り)

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(日の出岬も泊まった)

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(日の出は確かにすばらしかった!)

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(こちらはサロマ湖。ここは海と湖の中間のような場所で、子どもも安心して泳げてとてもよかった!)

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(海藻が乾いてふかふかになっていて、とてもあたたかくて気持ち良かった)

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(帰りに寄った白滝の博物館。石器を作らせてもらった)

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(我が家の夏の畑)

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(ピーマン、ナスはたくさん獲れたなあ…)

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(T氏が誕生日ケーキをつくっているところ)

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(毎年14歳なわたし。今年もトライフルをリクエスト)

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(四月少年が、石のコレクションと土で作った人形をプレゼントしてくれた)

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(にんじんの花。きれいだなあ…)

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(ヤギに食べられて植え直したきゃべつは結局、ものにならなかった)

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(色々育苗していたけれど、植える前に寝込み生活に突入…)

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(大した肥料なしで、自分にもスイカが作れると知って驚いたっけ)

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(色んなハーブを乾燥させたのだけれど、その後全ての匂いが駄目になり、結局あんまり活かせていない)

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これかかっているペーストは何だろう?「同種あえ」というやつかなあ。
緑が目にまぶしい。


夏の写真はここまで。

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(こちらは12月のあとりの会で作った鹿脂)

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(冬なので冷やすのに雪が使えるだけましだけれど、思った以上に手間がかかる!)

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(今回、10キロの脂からとれた純粋な脂は2キロ弱。やり方を改良したらもっととれるのだろうけれど、それにしても貴重品! 今回作ったハンドクリームの他に獣脂蠟燭にする予定だったけれど、勿体なくて蠟燭にしたくない、笑)

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(最後の鍋は鹿すき焼き)

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(このあと固まってハンドクリームになった。
鹿の匂いがあるのだけれど、松の精油を入れたらいい感じの匂いに。)

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(大雪の中、絞めて毟って捌いたローストチキン。コーチンではなく軍鶏の血が入っていたのか、慣れてからはヤギにまで毛を逆立てて喧嘩を売っていた)

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(江島家の伝統、クルミとチョコレートのブッシュドノエル)

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(おいしかったね。)

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(翌朝、何も言わずに起きて包みを開け、それから玄関のお菓子の家に気づいて走って行って、たぶん目をまるくして、「見て!お菓子の家がある!!」と弟を呼びに行った四月少年)

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(机を動かしたので露店のお菓子が散らかってますが…。去年の手作りクッキー&パンケーキの家は豪華で重すぎて、なかなか食べきらず、酸化も心配な感じだった。サンタも改良を考えたようで今年はフルーツ主体の軽い家でよかった!)

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(ちなみにサンタクロースからのプレゼントは、四月少年へはおはじきと懐かしのおゆまる君。十月少年へは折り紙と折り紙の本。オールドファッション! その代わりというわけではないのだけれど、なんと親からのプレゼントとして我が家らしからぬ?機器を導入。アンプなど色々検討した結果のユーズドWiiU! だって少年ののど自慢大会の練習に40分かけて帯広まで行って、お金使って、その度に子どもたちが飲み放題のジュースとかアイスとか食べまくるのがいやだったんだもの。今まで、少年は家の手伝いをすると一日に30分DVDが見られるというルールになっていたのだけれど、JOYSOUNDも選択できるようになった。周りは原野なので何も気にせずに歌いまくってます…)

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(十月少年も薪を運べるようになった!)

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(がんばれー!)

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(さてWiiUだけでなく、毎年恒例の手作りプレゼントも…)

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(わたしから四月少年へ、ラスコー壁画茶碗)

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(内側も渋いでしょ)

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(T氏から十月少年へ、小学校の剪定の際にもらったオンコの木で作った箸と箸置き)

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(なかなかいい感じ…)

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(十月少年は折り紙作品や絵を、四月少年は陶器の手作り箸置きをみんなにくれた)

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(六時でも光のない朝。わたしが生まれ育った住宅地ではうまくイメージできなかったけれど、ここではサンタクロースが夜の間にそっと訪れるということがとても自然なことのように感じられる。この静かさは、もしもこの地を離れたとしてもきっと一生忘れないだろうなあ…)

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(初めてのニシン漬けも、ちょっとトウガラシを入れ過ぎて辛いけれど、おいしくできたし…)

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(明日は残りのおせちを作りながらのんびりと年越しだ!)

一年間ご愛読くださった皆様、ありがとうございました。
来たる一年が、平和で穏やかなものとなりますように。




2016.12.30 Friday ... comments(4) / -
#近況いろいろ(やぎ・とり・その他)

近況。
ヤギたちは毛がモフモフになり、寒さもなんのその、雪の中へ繰り出して草をはむ。
乾草もカボチャもいいけれど、色々なものが食べたい、ということなのか。ちなみに乾草は、我々が今年一生懸命河川敷で(許可を得て)集めた草よりも去年Oさんにいただいた乾草の方が食べが良く、やはり品種や保管方法による栄養・美味しさの差は歴然といったところだろうか。

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原野育ちのモク(白)とランプ(黒)は毛がモッコモコ!
牧場で働いているSちゃんが、「冬でも放牧していると最初は辛いがだんだん毛がフサフサになってくる」と言っていたけれど、(おそらく)ぬくぬく育ったマヤよりも原野の風にさらされて育ったモク&ランプがモコモコ(密度が濃い)なのは、やはり育った環境と関係あるのだろうか?
ガラは去年、絶対に雪の中を歩こうとしなかったな…。

20161210_111032.jpg (運動場に風よけがついてあたたかくなった!去年は冬のみで撤去していたけれど、この冬の風に耐えてくれたら、通年でつけておこうかな)

鶏を一羽もらった。 6か月のコーチンのオス、ピチピチである。
我が家のオス1(コーチン)、メス3(ボリス)の群れに入れるとアンバランスになるのでお肉用だが、おとなしくて立派で性格が良いので、「食べてしまうのはかわいそう(もったいない)」という意見が浮上。
特に子どもたちがわいわい言うので、とうとうT氏が
「このオスはクリスマスに食べる! 名前はローストチキン!!」 と命名。

他の子たちは(ペットじゃなくて家畜で、いつか食べるから情がわかないようにと)名前がついていないのに、逆に名前をつけられることに…。

わたし「ローストチキンじゃないほうのオスもコーチンだけど、ローストチキンの方を食べる?」
T氏「こっちのオスはメスに餌を譲るし、何度もキツネの襲来を乗り越えているし、こいつの子孫を残した方が良いよ」
ローストチキンは若いし、抱いても逃げないし、なんだかかわいそうだなあと思うのだけれど、早くも「何日前に絞めるのがお肉が柔らかくなっていいんだろう?」「ローストチキンってことはばらさずにつぼ抜き(内臓を肛門から取り出す)しなきゃいけないからうまくやらないとね」など盛り上がっている。

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クリスマス(冬至祭)といえば、我が家では家族がそれぞれに贈り物をするのが慣わしになっているのだけれど、先日T氏に 「なにかほしいものある?」と聞いたところ
「特にないよ」という答えの後、
「フリクション(ボールペン)の替え芯がない」という答えが返ってきた。
「かっこいい部屋着があったら良くない?」
「別に要らないよ(にっこり)」

物欲がなさすぎる夫もこまりものだなあ…。
同じく物欲が少ないと思っていたわたしだが、ラピスラズリのピアスとか、エリザベートのDVD(ブラック版)とか、羊毛の帽子とかミルクパンとかたこ焼き器とか考えればいろいろ出てくるところをみると、まだまだ煩悩まみれなんだろう。

20161206_090734.jpg 今年は根雪になるのが遅かった十勝。ようやく真っ白世界に

IMG_1417.JPG いまさらながらニシン漬けも漬けて…

IMG_1433.JPG 今年はのんびりと年越し準備です。




2016.12.13 Tuesday ... comments(0) / -
#今年の反省/ヤギを飼うことについて

あっという間に十二月。
今年のまとめと反省をしておこう。

 

春 4-5月
・ハウス内の開拓と設置をがんばった。
・ハウス内で行っていた育苗。トマトが霜にやられ、お向かいのOさんに苗を分けていただくことに。霜については六月まで気は抜けない。何枚もビニールを貼り保温するか、室内で育苗する方がよい
・雌ヤギのマヤが出産。男の子二頭。今年は手間を考えて、離乳後も搾乳はせず。
・子ヤギをキツネから守るために玄関に入れたり、人が見ているところで散歩させたり。かなり手間がかかる
・毎日のように山菜料理。楽しかったなー

 

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初夏 6-7月
・ハウスの葉物、第一陣はとてもよく育ち、中カブ、ターツァイ、レタス、小松菜などが食べ放題に。
・トマトはマルチをしたが、植え付けが遅かったためゆっくり育ち。
・露地にもアブラナ葉物、ニンジン、じゃがいも、大豆、インゲン、春菊、キャベツなどを埋める/定植。
・ヤギの首輪の金具が壊れて脱走し、最盛期のハウスを荒らされたうえにキャベツの苗を食べられる
・鶏たちは過去最高の羽数となり、卵の自給率が一時100%になるも、対策の甘さゆえキツネにとられる
・子ヤギはキツネに狙われないよう、つないだり小屋へ入れたりの日が続き、また雨が降ると四頭とも小屋に入れなければならないため、とても時間をとられる
・6月から雨が続き、畑に入れない日が続く

 

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夏 7-8月
・雨が続き、畑に入れない日が続く
・露地畑はニンジンのみよく育つが、アブラナ科の葉物がいまいち。ナガメがたくさん発生。
・植え直した露地キャベツも育ちが悪く、毎日青虫を獲るも結局大きくはならなかった(栄養が足りなすぎ?)
・ハウスの葉物、第二陣はアブラムシが大発生。
・ハウス内のトマト、灰色かび病に罹患。ハウス内の湿気を抜きたいがどうしようもない。天井に水滴がたくさんついて、ポタポタ垂れているような状態。
・そんな中でレタス類、ピーマン、ナス、トマト(苗の本数が多かった)は自給率100%。ただしトマトについては、一年を通して自給したいと考えていたが作れた瓶詰めは十本に満たない。
・オカノリ、空芯菜はアブラムシもなく元気だが、料理の汎用性がないため余ってしまった
・コマツナやルッコラなど種とりを目的に実をつけていたものも、ナガメに食べられて採取できず。

 

秋 9-11月
・9月上旬より体調悪く何もできず、畑とハウスは放置状態。
・ハウス内に一本だけ植えていたスイカから大玉をふたつ収穫。世話は花を摘んでいただけ。
・雄ヤギのガラが亡くなる。
・ずっと掘れなかったジャガイモを11月に掘るも豊作とは言い難い。大豆との混植があまりよくないのか、豆も芋もいまいち。

 

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<まとめ>
・育苗は早めにスタートし、温度管理に気をつけるべし(といっても出産時期と重なるので来年は育苗できないかも)
・今年ふるわなかった露地。鶏糞などを入れてみよう
・アブラムシやナガメは、出ない方がいいが、出た時の対策をきちんとたてておく
・今年豊作だったニンジンは来年も多めに蒔く
・今まで混植を基本としていたが、管理しづらいうえに害虫予防にあまり効果なし。豆、ジャガイモなどは管理しやすいよう単一の畝を使う
・来年は大根を作ってみたい
・子どもも生まれる来年は剣先開拓(スコップによる開拓)はしないことにする
・開拓のために飼っているヤギの世話でかなり時間がとられている。特に繫ぎ直し、一頭一頭への水バケツ運び。また度々杭が抜けるなどして脱走したときの被害が甚大。電気柵などで囲い、いわゆる放牧状態にできないか検討。

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ヤギの飼育については迷いがある。

ガラが亡くなった後、
「もし鎖にからんだことが原因だとしたらもちろん言語道断で、今後は繰り返さないようにしなければならないが、衰弱で亡くなったとしたら?」
ということが頭から離れなくなった。
ガラは7歳。
ヤギの寿命については諸説あるようだけれど、飼育下ではだいたい12歳くらいというから、5年も短かったということになる。
我が家では開拓のために飼っているので、動物園のヤギのようにあたたかい小屋で栄養のある干し草を食べてのんびりさせてやるということはできない。ふきっさらしの原野で、そこにある草、つまりイタドリやヨモギや笹やクローバーやタンポポなどを食べながら、ハチやブユを常に追い払いながら、暑さや寒さに耐えて生きているヤギたちは、どちらかといえば「飼育下」ではなく「野生」といった方が近いのかもしれない。
手厚く保護するわけではなくほとんど野生のようなものなのに、鎖でつなぎ拘束している。それってちょっとあんまりじゃない?


(数か月前のランプ。最近写真を撮っていないけれど、今ではひげが生えているし、身体も毛が長くなりモコモコに。)

「ヤギと人との付き合いなんて昔からそんなものだよ」と言われればそうなのかもしれないし、「家畜の飼育の方法は酪農家でも色々ある、自分のやり方に自信をもって」と言ってくれた人もいる。「冬期でも牛を放牧していると、最初は辛いけれどだんだん牛も毛で覆われて環境に適応するんだよ」と教えてくれた友人もいる。
けれどガラが亡くなった日に感じた「ガラはかわいそうだった、こんなことをすべきではなかった」と感じた思いは消えない。
もう開拓なんてやめさせて、ペットのようにただ可愛がって飼いたい。そうでなければ、もっと大切に飼ってくれる人の元へ行った方が幸せかもしれない。ガラの死からひと月以上経った今でもそんなふうに感じている。

どのみち、開拓するならヤギよりもガソリン草刈り機でブーンと刈った方がだんぜん手間が少なくきれいである。脱走して畑を荒らされる心配もない。そうではなくヤギで開拓したいというのは、ガソリンや電気を使わずに、昔の人たちが行ったような方法で、というわたしたちの単なる自己満足のため。もちろんその根底には環境に配慮したいという思いがあるのだが、だからといって「必要だから」「このように利用したいから」というこちら側の都合だけでは生き物は飼えない。

今回、わたしが倒れてT氏や少年が主に世話することになった際、繫ぎかえや見守りの頻度などの世話の質は低下したと思う。ガラの直接の死因になったのかどうかは結局わからないけれど、T氏が誤ってマヤの近くに繫いでしまったのも余裕のなさが原因だろう。

つまりわたしたちは不慮の事態をほとんど想定せずに生き物を飼っていたのであり、程度の差こそあれ「突然(想定外の)〇〇が起こって飼えなくなっちゃいました」とペットを放り出す困った飼い主たちのことを非難する資格はない。
そんなふうに考えていると、今まで真剣に飼っていると思っていた自分たちの考えの甘さにますますがっくりしてしまう。

自分たちは原野を開拓してもらうかわりに、ヤギになにをしてやれるんだろう…。
わからない。
「家畜」はモノではないということはわかっていても、ではどこで線を引けばよいのか。わからない。
三頭も何の役割もない中型動物をペットとして飼うのは難しいから、夫婦となったマヤと白ヤギのモクは誰か大切にしてくれる人に譲って、我が家で生まれたランプ、呼べば撫でておくれと寄ってくるランプ、ガラの忘れ形見のランプだけは手厚く保護しながら半ペットとして飼おうか…。それとも何か、迷いを感じないような原野での、家畜としての飼い方があるだろうか…。

今、三頭のヤギたちはヤギ小屋/T氏が風よけのビニールや板を張った運動場にいて、わたしたちが夏の間に集めた草を食べている。時々わたしが来て、残飯やカボチャをあげるのを楽しみにしている。つい最近までは干し草があっても外に出て青草を食べたがったけれど、さすがに今はそれほど出たがらない。鎖がないのでのんびりしているようにも、寒さのなかで一生懸命身体を寄せて生きているようにも見える。ヤギたちはどうしてほしいんだろう。わからない…。



上記の文章を読んで、もしも雌ヤギのマヤと雄ヤギのモクを夫婦で飼いたい、飼い方については幸せな関係を築く自信があるという方がいたら、どうぞ連絡をください。
四歳のマヤは神経質で頑固だけれど人懐っこいところもある。一歳のモクは温厚で従順、とても性格の良いヤギ。
以前のわたしだったら「ここで逃げずに”家畜と人の関係”についてしっかり考え、迷いながらも飼育する中で考え続け、答えを出していこう(それが自分の理想である)」と考えただろうと思うが、この秋の「崩壊と再生」の中で何かが大きく変わり、「わたしが逃げないとか、しっかり最後までやりきりたいということよりも、今あるものをどうしたら大切にできるのかということを考えたい」と思うようになった。

これは「逃げ」だろうか? かえって無責任なことだろうか?

ヤギと話ができたらいいのにな…。




2016.12.01 Thursday ... comments(0) / -
#わたしの泉

町の広報の子育てコーナーに、「子育てを大変だと感じる本当の理由」という記事が載っていた。
要約すると、
―わりが見えない 評価される機会が外の仕事に比べて圧倒的に少ない M縦蠅諒儿垢日常的である(自分の思い通り、計画通りに事が運ばない)といった理由により、脳が要求したことが満たされない=ドーパミンの分泌が少なく達成感を得られない、ということが子育てと外の仕事との大きな違いである。「子育てが大変だ」という言葉は子どもから解放されたいということではなく達成感を味わいたいという思いから発せられるものである。
だからそういう声を聞いたら、否定したり指示したりせずに労をねぎらうことが大切だ…という内容。

未だに「男性が外で働く7時間と、子育てをしているママの7時間…」「ママたちは子どもから解放されたいのではなく…」と男性=外で仕事、女性=子育てと決めて書いているのは気にかかったが、うんうんとうなずきながら読んだ。
子育ては成果が見えづらいのだ。

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T氏の仕事話を聞いていると、いつも「いいなあ」と思う。大変なことも多いのだろうが、それが報酬や信頼関係の構築といった形で「報われている」ことがうらやましい。子育ても家事も自給も開拓も、基本的にはそれほど成果が出る(評価される)ものではない。自給といったって、「買った方が早いし安い自己満足」と言われればそれまでだし、わたしのような技術のない人間にとっては今年のように「ハウスでウイルス病が出てトマトが壊滅的」とか「雨続きで露地も育たず」とかいったことも多い。

わたしは昔から割と優等生で、勉強のできる子どもだった。体育以外はがんばればうまくできた。「君みたいな地に足つかない人間が就職して大丈夫?」と言われていた就職活動も最終的にはうまくいったし、職場でもまあ、失敗や恥ずかしい経験も多々ありながら、上司や同僚に恵まれ「できた」を味わえる瞬間はたくさんあった。

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それが今は、「できない」の方が多い。
「また子どもに大声を出してしまった…」
「今日もやることが終わらなかった…」
「昼間ちゃんと掃除したんだよ! 掃除したけど夕方また元に戻っちゃったの。掃除してないわけじゃないの!」
そんな毎日。

特にわたしが弱いのは子どもへの罪悪感である。
世間の人々による「子どもがかわいそう」などという声にはかなり敏感に反応してしまう(だから自分では絶対に言わないようにしている)。「子どもに対していらいらしてしまった」「子どもに対して適切な態度をとらなかった」「子どもに対して大声を出したり叩いたりしてしまった」というような場合、罪悪感に浸るよりも次のための方策を考えるべきであるのは百も承知だが、とにかくまず罪悪感を覚えてしまう。そして成功した部分、達成した部分はそのような失敗の陰で見えなくなってしまう…。


そんなわたしにとって免罪符ともいえるのが、「子どもの作品」である。
子どもの言動の端々から「成長しているな」「やさしい気持ちが育っているな」などと実感することももちろん毎日のようにあるのだが、ほとんどの場合それを打ち消すような出来事も同時に発生しており、それらが交錯してゆく生活の慌ただしさの中ではなかなかじっくりと味わうことができない。
ゆっくりと眺めて味わうことのできる「作品」には子どもの今の内面が表現されていて、彼らの育ってきた道を思わせるものでもあり、わたしにとってはひとつひとつが宝物だ。

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これは、1年生の国語の教科書に載っている『けんかした山』を読んで、それぞれの登場人物の気持ちになってせりふを考える(?)という授業で使ったというプリント。
『けんかした山』自体は短い話で、
ふたつの山がけんかをした。お日様、お月様が「動物たちが安心して寝ていられない」と止めようとしたが言うことをきかず、噴火してしまった。緑の木々が炎に包まれ、小鳥に頼まれたお日様が雲を呼んで雨を降らせた。火が消えた山はしょんぼりして顔を見合わせた。何年もの時が経ち、山はようやく元に戻った、
というもの。

元のテキストには山の台詞は一言もない。
でも子どもの心の中では、こんなに生き生きと山が喋っているのか!
わたしは心底感動してしまった。自分だったらこんなふうには書けない。

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お月様が、少年の心の中では「なかよくして平和に暮らし長く栄えろ。」と言ったのか…と思うと、わたしはもう涙がでそうだった。

子どもの心の中には、慌ただしい暮らしの中ではなかなか見つめることのできない、何か特別な、繊細で豊かな世界がある。
ひとりひとりが持っている、それぞれ違ったエネルギー、燃えるもの、落ち着いたもの、やさしいもの、流れるもの…そんないろいろのものが渦巻いている。
「作品」に表れたそれをふいに目にするとき、わたしは突然夢から覚めたみたいに子どもの心のうつくしさを思い出して、それが育まれていることに感謝し、それからなんだか、救われた気持ちになる。
泉を見つけたような「達成感」を感じる瞬間。

成果なんかなくたって、無事に大きく育っているんだから、いいの、という人もいるかもしれないけれど、わたしにとってはこの「達成」の感覚は心を満たす大切な要素である。

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寝込み生活終盤にて、わたしが昼寝から目覚めたら一人で焼きそばを作っていた四月少年。
優秀な主婦である母をもったわたしは結婚するまで甘ったれ娘で一人で焼きそばを作ったこともなかったのだが、たまには頼りない母親も役に立つということが立証された気がしてうれしかった。
これも…「達成感」?

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なんと四月少年はサンマを切って内臓を取り出して洗って拭いて梅とみりんと酒と醤油で煮込む「サンマの梅煮」も作ってくれた。
すごいぞ少年。君は天才だ。と褒めちぎったらまんざらでもなさそうな顔。

かくして、「できる(けどダメ出ししがちな)母親」を目指さず「頼りないけど、少年たちのよいところを見て褒めまくる母親」を目指すことが、母と子がお互いに達成感を感じられる関係を築くポイントなのでは…と、思う今日この頃だ。




2016.11.15 Tuesday ... comments(0) / -
#命を食べて、命を還す −伊沢正名さんの「糞土哲学」−
寝込み生活中もずっと「あれだけは書かねば…」と心にひっかかっていた、伊沢正名さんの生態系講座の記事。だいぶ体調が回復してきたのでようやく書けそうだ。

『生態系講座』と銘打ちはしたが、その内容のほとんどは「野糞の話」である。

キノコやコケなどの写真家として高名な伊沢正名さんは、40年以上「野糞」を続けている。
もちろん、単なる趣味ではない。考えてみればすぐにわかることだが、一回、二回ならともかく野糞を毎日続けるとなると、強い信念なしにできることではない。野糞ができる場所など限られているうえ、自然に分解されるために必要な時間を考えれば同じ場所に何度もするわけにはいかない。毎日のように野糞のための計画が求められる。
汚い、下品、不衛生、そして環境破壊ではないか、といった批判や攻撃にさらされることも容易に想像がつく。

では、そこまでして伊沢さんが野糞を40年も続けてきた理由、そして彼が野糞を通して伝えたいこととは一体何なのか。
…という話を、我が家でしていただいたのである。

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伊沢さんの話に入る前に、面倒くさがりのわたしがなぜ、この講座を主催することになったのか、そのことを書きたいと思う。

直接的には、去年通っていた長沼(現在は当別町)の「エコビレッジライフ体験塾」の塾長の伊藤伸二さんが、伊沢さんの主宰する「糞土研究会」というネットワークに入っていて、「今年伊沢さんが来て、道内を回って講演や講座を行う、当別にもお招きするのだが、十勝でもどうか」と誘ってくれたことがきっかけだ。
わたしは去年伊藤さんに借りて伊沢さんの『くう・ねる・のぐそ〜自然に愛のお返しを〜』という本を読んでおり、「水洗トイレってどうなのかなと思ってきたし、コンポストトイレを作るのもいいなと考えていたけれど、こんなにシンプルな方法で土に還している人がいるとは!」という驚きと感激を味わっていた。

しかし、単にコンポストトイレの代わりに野糞を提唱するという話であれば、開拓だけで手いっぱいなわたしが集客の見込みもないまま開催しようなどとは思わなかっただろう。
わたしが伊沢さんの話を十勝の人たちと聞きたい、と思った理由は、十年近く前、わたしが大学四年の頃に感じたことに関わっている。



わたしたちが大学一年の頃、アメリカで同時多発テロが起きた。
大学三年の頃、アメリカがイラクに侵攻し戦争になった。バグダッドで何人が死亡した、というニュースが毎日のように新聞に載っていた。
テロも頻繁に起きていた。自爆で何人が死亡。子どもが自爆。結婚式で自爆。
わたしは何もできないまま、ただ犠牲者ひとりひとりを悼みその人生を想像しようとして、そのことに耐えられなくなった。
飛び散った肉片や血まみれの広場や子どもを失った人の悲しみに。
食欲が落ち、「これは殺されたものだ」と思うと肉が食べられなくなった。

それはやがて死そのものへの恐怖となった。
死ぬと人はどうなるのか、テレビのスイッチを消したように消えてしまうのか、と考えるととても怖かった。
「わたし」はどこへ行くのだろう? 無になってしまうのだろうか?
あの夏はとにかく死ぬことが怖くて、どんな短歌を詠んでも死の影がつきまとっていた。

そこから抜け出たきっかけは、「生き物には肉体がある」ということの発見だ。
当たり前なことのようだけれど、頭でっかちなわたしは「わたし」という意識がどうなるのか、ということばかり考えていて、身体のことを忘れていた。

−そうか。意識は消えてなくなるかもしれないけど、身体は地球上に残るんだ。すべて消えるわけじゃない。
−それならわたし、死ぬ前に小さい魚にでもなって、T氏が口を開けた瞬間にするっとすべりこんで食べられたいなあ。
−燃やされて灰になっても、残るといえば残るのかもしれないけど、他の生き物に食べられて命になる方がいいなあ。ずっと他の生き物の命をいただいてきたんだもの。
−分解されて、最後は炭素だかなんだかの元素になっても、それがどこかに消えてなくなるということはなくて、ずっと地球のうえにいるんだな。
−じゃあ地球はわたしの身体と同じだな…

その考えは、死に怯え、死を禍禍しいものとしてしか認識できなかった当時のわたしにとって、大きな救いのように思えた。
生き物の命が循環している地球という星はひとつの生き物のようなもので、自分はその大きなものの一部である。
いつか還る場所の一部。今はつかの間「わたし」という形をとっているだけ…。
死というものの概念が変わり、恐れが消え、そして生態系という「命の連鎖」への敬意が生まれた。



伊沢さんが「野糞」を続けるのも、生態系という「命の連鎖」への敬意、その一部でありたいという願い、そして彼の死生観に理由がある。
「便を無駄にせず、地球に還して他の生物の命に」と「死んだら遺体を燃やさずに他の生き物の命に」は、ほとんどイコールである。
ウンチの話は、命の話なのだ。
伊沢さんのお話は、命を食べて、食べっぱなしの人々に贈る、命を食べて、命を還す生き方の話なのだ。

実際に「野糞」ができなきゃダメ、とは、わたしは思っていない。原野に住んでいるわたしだって毎日は無理だし、難しいという人もたくさんいるだろうと思う。
彼の話を通じて自然の中で巡る命のこと、そして自分もその一部であること、生と死が繰り返される自然界の営みと生態系への敬意と驚嘆…そんなことを感じてもらえたら。
取り入れたり出したり作ったり捨てたり生まれたり死んだりして続いてきた生と死の営みを改めて意識する中で、わたしたちの暮らしのあるべき姿を共に考えられたら。
そう考えたことが、今回の講座を開催した理由である。

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いきなりウンチ話ではなく、まずは伊沢さんの美しいキノコの写真たちから。
写真家としての伊沢さんの作品を知らなかったわたしにとっては、「キノコってこんなに美しかったのか…」と驚きの連続。
「上から目線ではなく、敬意をもって接することで自然は美しさを見せてくれる」と伊沢さん。
写真って、被写体が同じでも撮影者の目線・まなざしがはっきりと出るところが面白いよなあ…(本題を忘れてしみじみ)

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ちなみに手に持っているのはイタドリの枝(笑)

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美しい菌類たちが生えているのは…鹿のウンチ。
そう、ウンチは菌類たちにとってはご馳走!

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人間界では厄介者とされて大量の水を使って流し、処理場で薬品やエネルギーを使って処理されているウンチ。
土に埋めると、掘り返されて何者かが食べたり、植物の根が養分を求めて伸びてきたり、キノコが生えたり…様々な生き物から必要とされていることがよくわかる。最後には土になり、香りもなくなる。

上の写真は、ウンチが食べられてなくなった穴に誰か小さいもの(ネズミかな?)が木の実を置いていったという、微笑ましい写真。
「汚い」と、思いますか?
「不衛生」ですか?
そんなこといったらそこらじゅう色んな生き物のウンチだらけで、土に触れなくなってしまうよね。

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お尻はどうやって拭くのかって?
自然に還る葉っぱです。
極上の葉っぱはトイレットペーパーより気持ちいいんだよ〜との言葉に、皆さん「えー!」

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この日集まった人たちはほとんどが生態系への理解のある「森の人たち」で、葉っぱを回すと「あ、ギンドロ!」とあちこちで声が。

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ギンドロの葉の裏は、まるでびろうどのような手触りなんだな…。

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伊沢さんの人柄もあり、皆さんリラックスして和やかな雰囲気。

「山のトイレ問題(高山など分解力の低い場所で登山者が自然の分解力を超えた量の野糞をすることによって草木が枯れるなど自然が破壊される問題)などについてはどう考えていますか?」との質問には、
「自然には分解する力があるが、それを超えた量をするのは問題。自分は一度した場所には目印を立てて一年はしないようにしている。高山などの場合は牛乳パックなどに入れて持ち帰り適切な場所に埋めるとよい。市販の携帯トイレはエネルギーをかけて作られているので」というお返事。

また「どこかのティッシュメーカーが、途上国の人々が不衛生な環境のために命を落とすことがないようにトイレを作ろう!というキャンペーンをやっていたけれど…?」というわたしからの質問には、
「水源の近くに野糞をして水が汚染されたり、集落の近くで野糞が過密になったり、きちんと埋めなかったりすることで衛生上の問題が発生することもある。しかしその解決策としては、他国の人間が出て行ってトイレを作るよりも正しい野糞の仕方を教える方がよほど効率的で環境にも良いのでは?」と伊沢さん。
さすがはプロ、「野糞」に対する疑問には瞬時に答えてくれる。

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その後原野を歩いて、お尻ふき用の葉っぱを探す。
一枚では心許ないヨモギも集めれば使える!
乾燥するとカサカサして使えない葉っぱもほんのり湿ってやわらかくなっていると使えるものがある…など、すぐに使える知識がいろいろ。

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真剣ながらも楽しそうな伊沢さん

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「熊笹も裏に毛がはえていてなかなか良い」との評価。熊笹なら無限にありますっ!
ここでも参加者さんから「お尻が切れちゃいませんか?」との質問が。
伊沢さん「端っこを破けばOK!」
楽しいやりとり。

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このフィールドワークの後は、お部屋に戻ってエコビレッジライフ体験塾の伊藤さん(伊沢さんを送りがてら、講座の運営も手伝ってくれた)から「自宅の裏山で放置したウンチがどうなったか実験」のレポートが。
生々しすぎて写真は撮らなかったけど(笑)、埋めなければ菌類や植物が分解する前にもっと大きな動物が食べるのでなくなるスピードは速いようだ…という話。
わたしも伊沢さんの講座に先立ち、原野に少年のウンチを放置して実験してみたのだけれど、一体誰が食べるのか、最短で二日、ほとんどが一週間もしないうちにきれいさっぱりなくなり、もちろん臭いもしないことに驚いた。
これが自然界での「当たり前」なのか!と。

もちろん人間界の「当たり前」はそうではないので、実際に野糞をするにはハードルもあると思うけれど、人目を気にする場合はタライにしてから外に埋めに行くとか、方法は色々あると思う。外でする方が爽快だろうけれど、我が家の場合は初夏はブユも多いので難しそう。ヤギみたいにハエやブユを追い払うしっぽがついていたらいいのだけど。

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今回は会場の雰囲気がとてもよくて、最後には「また伊沢さんに来てもらいましょう!」という声が参加者さんたちの間から上がったくらい。遠く札幌や釧路から参加してくださった方もいたのだけれど、皆さん楽しみつつ伊沢さんの「糞土哲学」にも共感していただけたようで、満足した表情で帰られる方ばかりで嬉しかった。
途中で「トイレはどうすればいいですか?」と聞かれた方がいて
「トイレはそこに…」
「あ、えっと(それはわかっているんですけど、、)」
「あっ!外ですか?! 家の周りでなければどこでも大丈夫です〜むこうの茂みとか…」
なんていうやりとりもあって伊沢さんも喜んでくれた。
事前にお会いしたことのある方は一人もいなかったのだけれど、素敵な方ばかりだったのでまたじっくりお話してみたいなあ。

解散の後もキノコ談義などゆっくりお話したり、ご飯を食べたり(自家採取キノコ料理を分けてくださった方も…)と和やかに過ごすことができた。



つわり寝込み生活真っ最中で「この日だけは絶対になんとかする」という気合いだけで過ごしていたわたしは、伊沢さんが釧路に発った後すぐにへなへなと床に倒れ込んで眠ってしまった。
眠っている間にあとりの会のN君が「鮭が釣れたから」と持ってきてくれたらしく、T氏がさばいた。
そういえば伊沢さん、自家製イクラ丼が懐かしの味だったようで「北海道で食べるのは味が違う」ととても喜んでくれたっけ。

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わたしは普段自給自足のサークルをやってはいるけれど、自給したい人=環境や生態系に興味がある人というわけでもないし、今回は最初から全くもって集客のあてがなかった。
新聞二社、かわら版、芽室の町の駅や帯広の自然体験施設はぐくーむで宣伝してもらったり、大学や子育てNPOにちらしを置いてもらったり、さらには人づてで個人へ連絡をとらせていただいたり…「野糞だなんていって、不衛生だとか怒る人がいたらどうしよう、誤解されたらなんて説明しよう」とドキドキしていたのだけれど、ほとんどすべての場所で「とても面白く有意義な企画だ」と言ってもらえて驚いた。
おかげさまで当日の朝まで電話が鳴ってほとんど満席!
特にはぐくーむのTさん、参加してくださった写真家のKさんにはじっくり話を聞いていただき共感していただけて、一人で奔走していたわたしはとても勇気が沸いたし、協力していただいて感謝でいっぱいだ。
また、今回伊沢さんを紹介してくれ、収穫期で忙しい中、当別から来てくれた伊藤さんにも感謝、感謝…。

その後体調不良が続き「土に還す」を実践できていないわたしだけれど、復活したらできる範囲で行動してみよう。
伊沢さん、みなさん、ありがとうございました!



2016.11.08 Tuesday ... comments(0) / -
#崩壊と芽生えの混沌〜突然の別れ

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前回更新してから、一ヶ月も経ってしまった。
体調が悪く寝たきりになり、更新できなかったのだ。
その間に起きたことをかいつまんで説明すると、まず、前回の記事のとおり、台風が来て我が家の原野の半分をさらっていってしまった。記事の終わりには「開拓しよう」と書いたが、気力が湧かず、結局開拓はできなかった。

その直後に妊娠が発覚。
同時に、自分史上最強の悪阻が始まり、立って動くと吐いてしまう(といっても、わたしは昔から、身体にはよくないことだが「吐くのを抑えようとする無意識の制御力」が強いため、胃が痙攣しせりあがってきても実際には吐けず、ただ涙目になって何度もオエオエ言っているだけ)ため、トイレ以外は寝たきり、風呂は四日に一度、ずっと寝ているから髪の毛には毛玉ができ、まるでボロ雑巾状態に。
ピークの時、というかつい最近まで、窓の外も見たくない。外気の匂いに当たると吐き気がする。子どもが近寄ると匂いで吐き気がする。しゃべるのもだめ。写真もいや。音楽も止めてほしい。水は吐きそうになるのでポンジュースしか飲めない…といった症状が続いた。
中期は食中毒様の症状(吐き気と腹痛と下痢と脂汗&目の前まっしろ状態)もあった。食べられるものしか口にしない生活の結果、珍しく39℃近くまで熱を出し、マタニティーブルーも手伝って生きている意味がよくわからなくなり、お腹の中にいるのは子どもではなくモンスターなのではないかとさえ思われた。とにかく酷かった。

もちろん家事は何ひとつできず、食事は朝、T氏が作りおきしたものか、T氏が作れなかった日は夕方四月少年が作っていた。買い物もできず、洗いものもできず、掃除もできず、家畜の世話もできず、畑もできず。
畑のことは早々に諦めざるをえなかった、というか、考えるのもイヤになり(外気に触れると考えるだけで吐き気がしていたので)、どうでもよくなってしまったのだが、他のことはほぼ全て仕事帰りのT氏の負担になった。
T氏はヘトヘトだったと思うが文句ひとつ言わず、子どもに対してもわたしに対しても穏やかに接してくれた。
ボロボロでブルーだったわたしは、「なんでこんな神様みたいな人が、このボロ雑巾のようなわたしと結婚してくれたのだろう」とか、そんなことばかり布団の中で考えていた。
恐ろしい一か月半。

この恐ろしい一ヶ月半、わたしの内面の中で何かが崩壊していた。
原野が流されたショック後、心を整理する暇もなく怒涛のような変化が起きたため、ものすごく混乱していたし、体調の悪さは精神、そして思考にも大きな影響を及ぼした。
この一ヶ月半の間に、わたしが切れ切れにT氏に語ったことは以下のとおりである。



原野の流されちゃった崖の下ね、わたしはあの場所があるからここに住もうと思ったの。
ここでエコヴィレッジをやりたいという計画も、あの場所ありきだったのよ。
エコヴィレッジになろうと、そうでなかろうと、いつかは道をあの場所まで伸ばして、散策できるようにしよう、いつでもあの場所が観察できるようにしようというのが、わたしの大きな目標であり計画だったし、それがない今、もうがんばってこの土地を開拓しようという思いが湧かないと思うのよ。
あの場所を春歩けるという希望があるからこそ、ここの長くて厳しい冬を耐えられたのだし、あのね、開拓生活って、とても大変なの…もちろん知っているよって思うでしょ?でも、ほんとうに大変なの。もちろんその大変さが、自分の手で生きるっていうことだと思ったし、それを肯定して、心を奮い立たせてやってきたけど、奮い立つ心がなければできないのよ。

わたしの原野は、失われてしまったけれど、また、心ふるわせてくれる場所がどこかに見つかると思いたい…。



(河原になってしまった「崖の下」は、この地図上の灰色の線の上、つまり原野の半分近くにあたる)

「でも、話を聞いていると、もしここを諦めて別の場所へ移動したとしても、一度の移動では済みそうにない気がするね。君は、定住に向いていないんだよ。俺なんかは、定住型だと思う。ここがいよいよダメになるまで、暮らせなくなるまで、ベストを尽くそうって考える。たぶんこの辺の農家さんなんかもそうだと思う。でも君は、もし別のところに移ったとしても、きっとまたいつか移りたいと言い出しそうだ」
とT氏が言った。

「わたしは定住型だと思っていたんだけどな」
「違うね」

そういえば、わたしたちの結婚生活が10年も続いている理由をT氏はいつも「自分の努力のおかげだ」と言っている。「気分屋の妻が結婚生活を放り出しそうになっても、自分は忍耐強く、決してあきらめずにベストを尽くしてきた」ということらしい。
確かにそれには感謝しているけれど、住む場所は変えられるものなら、変えたっていいでしょ。


日本では、あっちこっち移動したら根なし草とか、糸が切れた凧とか?言われるのかもしれないけれど、大草原の小さな家のシリーズで、インガルス一家は何度も移動していたでしょ。
たとえば土地の厳しさによって、天災によって、もっといい土地があるという噂によって。
それに今回、百年に一度といわれる災害があったわけだけど、ここに来てから毎年「こんなに雪が降る年は珍しい」とか「こんな年は(60年以上の人生で)初めてだ」って聞いてるもの。毎年だよ。
つまり、異常気象とか、そういうのが普通になってきたってことだと思うの。
そういう時代に、一か所に定住して家を持っていることのほうがリスキーなのかもしれないじゃない。
インガルス方式とか、野生動物とか、技術を磨きながらよりよい場所を求めて移る、という生き方の方が、合っているのかもしれないよ。
そうじゃない?

「それはあるかもね」

それに、もし日本が徴兵制を導入したらどうする? もちろん、そこに至るまでに精一杯、ブレーキをかけようとしたとしても、大勢の意見がなだれ落ちる時になすすべもないこともあるでしょ。徴兵されるなんて、ありえないじゃない。子どもを戦争にいかせるなんて絶対にないよね。
そういうことも起こりかねないような、空気を感じる時代には、一か所にとどまってベストを尽くす…っていうよりも、どこでも生きられる技術を身につけて、状況を的確に判断し身軽に行動していく、という方が、合っているような気もしない?

「…」



わたしは、ただ自分の都合にあわせて自分の都合のいいように喋っているだけだ。
異常気象だの徴兵制だのは、わたしが求める結論を導くためにもってきただけ。
自分でわかっている。
大して考えもしないで、ただメモみたいに思いつくまま喋っている。
ずっと自分がもっていた希望のようなものがなくなり、海に放り出されて、藁でもいいから掴みたいと思ってめちゃくちゃに手を振り回している。



―自分の手で生きたいと思って、野生動物みたいに生きたいと思って、こんなに日に焼けて、やさしさよりたくましさを選んで奮闘してきたけど、結局わたしは、理想と夢だけでこっちに来た、ひ弱で覚悟のない、ただの都会人なのよ。
わたしは憧れだけで来た移住者じゃない、って思ってきたけれど、結局そうなのよ。
ここで生まれて、どんなことがあってもここで生き抜く覚悟のある人たち、ここの厳しさも美しさもすべて自分の一部になっている人たちとは違うのよ。


マタニティー・ツワリ・ブルーで全てにおいて後ろ向きになったわたしがしくしく泣いていると、T氏が言った。

「今は色々考える時かもしれないけど、決める時ではないと思うから、また時間をおいて、落ち着いてから一緒に考えよう。」



と、そんな訳でこの一ヶ月混沌の中にあった我が家。
なぜかプライドだけは高いわたしがこのブルー状態を脱した半年後もまだ「わたしは理想と観念だけで来た愚か者で…」と挫折を認めていたとしたら、それは人生初のことで、一体どうなってしまうのかその先はわからない。

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さて、苦しい出来事は続くもので、みなさんにとても悲しいお知らせがある。

雄ヤギのガラが死んだのだ。


この一ヶ月、わたしはヤギの世話ができず、特にガラについては匂いを嗅いだら吐いてしまうだろうという恐れと、腹部に頭突きされると困るという理由から、遠くから見るだけだった。
世話はすべてT氏が行っていた。



三時頃、わたしに「にわとりに餌とお水をあげたら、モクを見に行ってくれない? 草が少なそうなところに繋がれていたから、繫ぎなおした方がいいかもしれない」と言われた少年が、外から帰ってきて
「ママ、ガラが倒れてる!」
と言った。

血相を変えて飛んでいくと、ガラが倒れていて、息をしていなくて、ハエにたかられるがままになっていた。
一目で死んでいるとわかった。
わたしは信じられず、大声で泣きわめきながら話しかけたが、もう帰ってこないということはわかっていた。
お腹の下はまだ少しあたたかかった。
少年が半泣きになり「ママ、泣かないで、お願い! 怖くなっちゃうよ! 僕がなかなか見に行かなかったのが悪いんだから、ママはごめんねって言わなくていいんだから、ねえ、泣かないでよ!」と叫んだ。

近くにマヤがいて、マヤの鎖がガラの頸にからんでいる。
T氏が繫いだ時に、目測を誤ってマヤとガラを近くに繫ぎ過ぎたのだ。二頭の真ん中にあたる場所に直径1センチほどの細い木がある。ガラは木とマヤの鎖の間に挟まれて、窒息してしまったのだ…と、思った。
苦しかったよねえ。こんなのってないよねえ。謝っても、もう帰ってこないよお、と、泣き叫びながら、首輪を外した。
こんなの間違っていたんだ、生き物に鎖をつけるなんて。そう思った。

風がとても冷たかった。
暗くなり、少年がランタンと上着とビニールシートをもってきてくれた。
「これ何だろう?」と少年がガラの身体についていた白い種のようなものをつまみ、しげしげと見つめた。
ハエの卵だ。
連絡を受けたT氏が帰ってくるまで、ガラの側にずっといて、毛を撫でていたが、吐き気はおきなかった。
T氏が帰ってきて、ガラをシートに包んで、家の近くに連れて行った。
そして、どのように弔うかを話しあった。

穴を掘って埋めるのは、にわとりでさえ困難で、キツネに掘られてしまうだけだ。
火を焚いて燃やすか、原野に連れて安置する、つまり野生動物や虫や菌類に食べられ、土に還るのを待つか。

火を焚いて燃やすのは、夜通し焚けば可能だろうが、乾燥した草や枝に飛び火する可能性がある。
また、わたしは、死んだ肉体を他の生き物の命として循環させるのではなく、燃やして灰にしてしまうということに抵抗があり、自分が死んでも火葬されたくないと考えている。
一方で、遺された者の心理としては、火を焚いて「弔いたい」という思いもある。
ガラはどうされたいのだろう?

考えた末に、野生の鹿と同じようにしようと思った。
T氏が抱いて下の原野に連れてゆき、ヤナギの木の下に安置した。
ひさしぶりの原野で、衰えた脚の筋肉がガクガクした。
月がのぼる前で、空は星でいっぱいで、ヤナギの木の隙間からチカチカとまたたいているのが見えた。
T氏の身体がぐらついた瞬間に、ガラの舌がべろりと飛び出して、T氏も泣いた。

帰ってきて、キッチンに立って二回吐いた。いつものとおり、酸っぱい唾液しか吐けなかった。
それから、キッチンの床に座って温めた牛乳を飲んでいると、ジャンバースカートの上で何か白いものがうごめいていた。
ウジだ。
ジャンバースカートを脱ぐと、タイツの上にもウジが動いていた。

そんなに動くのは一ヶ月ぶりで、わたしは風呂からあがると疲労で動けなくなったが、眠ってしまうのはずるい気がした。
眠ったら悲しみが癒されてしまう。今の思いも薄れてしまう。ガラは冷たい風のなかにいるのに、自分だけあたたかい布団に入って眠るなんて。
そう思っていたが、眠ってしまった。
目覚めると月がのぼっていた。
デッキに出ると、この寒さの中にガラが冷たくなって横たわっているのだと思ってまた涙が出た。
T氏が、おねしょした十月少年のズボンをとりかえていた。
「おねしょしちゃってるわ」
とT氏が言って、わたしは、どうしてそんなに平気なの、このひと月、色々、負担がありすぎたのはわかっているけど、お世話がおざなりになるくらいだったら、言ってくれればわたしが無理したのに、ガラがしんじゃうくらいなら…と、T氏を責めてしまった。逆の立場だったら、絶対にわたしを責めない人を。
それからしばらく、通夜のつもりで、蠟燭をつけてじっとしていた。
T氏は「寝たくなったら寝る」と言って明け方の四時まで起きていた。


鎖にからまって死んだと思っていたガラだが、ひとつ不明な点がある。
ガラの体高はマヤよりも高いので、普通にしていたらマヤの鎖がガラの頸に巻きつくことはない。

マヤが興奮して飛び跳ねて、ガラを飛び越したのか。ありそうもない。
ガラが座っているときに、マヤがガラをまたいだのか。そうなったら、完全に巻きつく前にガラが避けそうな気がするのだが、すばやく行われた場合や木に角がひっかかった場合は逃げられなかっただろう。
ガラが衰弱して倒れたところに、マヤの鎖がからまったという可能性もある。(死因は鎖)
ガラが衰弱し、亡くなったあとに、マヤの鎖がからまったという可能性もある。(死因は衰弱)

衰弱説のほうがありそうな気がするのは、わたしがガラの声を聞いていないからだ。
ヤギは嫌なことや困ったことがあると、メーメー騒いで人間を呼ぶ。
わたしは部屋の中にいて、午前中は眠っていた時間も二時間ほどあるが、起きていれば声は聞こえそうな気がする。それともあっという間に巻きついて、苦しくて鳴けなかったのだろうか。
また、T氏が繫ぐ際に「寒くなってきたからか、なんとなくガラの動きが遅いような気がする」と言っていたのも理由のひとつだ。
「なんとなく、気がする」であったとしても、異変に気付いたならすぐに風を避けられる小屋に入れて様子を見るべきだったのだが、苦痛の様子もなかったので繫いでしまったのだ。
ガラは去年の冬も少し動きが鈍くなり、若く活発なマヤと違って小屋でじっとしていることが多かった。一冬終えるととても老け込んだ感じになった。
あの時小屋に入れていれば、わたしが昼間様子を見に行っていれば、もっと大切にしてやっていれば…今となっては、何を言っても遅い。


本当はガラの思い出を色々書きたいのだけれど、ここまで書いて疲れてしまった。
わたしもT氏も、四頭の中で一番手を焼き、それでも一番好きだったガラのことは、また後日改めて書きたいと思う。

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2016.10.21 Friday ... comments(2) / -
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